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2011-04-09

27.臨床経験とエビデンスについて

 1991年にGuyatt論文でEBMと言う概念が生まれてから20年。日本の医療現場でも、EBMやエビデンスという言葉が普通に使われている。とはいえ、実際にはEBMやエビデンスをめぐる根深い誤解も少なくない。EBMというと、「臨床家の勘や経験ではなく科学的根拠(エビデンス)を重視して行う医療」と言われる場合があるが、このような説明でEBMは、多くの臨床家に反発され、時には臨床家の気持ちをくじけさせてきたように感じる。1996年にBMJの論文で、Sackettは以下のように述べている。「EBMとは個々の臨床家の持つ専門性・熟練と、外部から得られる最良のエビデンスを統合すること」「個々の患者のケアについての意志決定に際して、現時点での最善のエビデンスを良心的に、明確かつ思慮深く利用すること」-conscientious,explicit,and judicious use of current best evidence-
これから分かるように、エビデンス(いわゆる大規模臨床試験であっても)というものがあれば、臨床の個々の判断が一律に決まってしまうものではないということだ。エビデンスはEBMを実践するための「大切な要素の一つ」であって、臨床家としての経験も同じくらいに大切にしている。臨床経験はその一つ一つが貴重で、かけがえのないもので、「臨床家の経験も専門家としての判断のよりどころになる」ということは、当然すぎることだが、なぜEBMは臨床経験だけでなく、それに加えて「最良のエビデンス」も強調したのか?少数の患者の臨床経験を報告する症例報告は、医学の進歩に大きな役割を担ってきた。特に新たな疾患の発見やまれな疾患の治療法の研究では、症例報告無しには何も始まらない。しかし日本の臨床現場では「1例」すつを大事にする一方で、全体の傾向(一般論として正しい情報)を知ることが後回しにされてきた感がある。 目の前の患者さんが、どのような「母集団」からきたものかを意識して、その情報を適切に取り扱う術を知っておく方が臨床家にとっては大いに役立つ。病気の頻度、危険因子、予後、適切な治療に関する正確な知識など、「一般論として正しい情報」を知ることは、決して無駄ではない。EBMは、「臨床経験」と「一般論として正しい情報」、すなわち「最良のエビデンス」の「合わせ技」で、より良い医療を目指そうとした提案であった。最近、「そのエビデンスは?」という質問を耳にするが、今はむしろ、エビデンス至上主義、すなわち個々の臨床経験をあまり重視せず、個別性を考慮しないような傾向が強いのではないか。これは逆の意味でEBMの定義から外れることになるだろう。
-中山健夫(EBMの道-1:Medical asahi:4,56-57.2011)より引用-

2011年04月09日
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