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2012-09-01

44.なぜ自殺者は3万人を超えているのか?その3.

前号でも少し触れたが、宗教と自殺の関係はどうなっているのだろうか。キリスト教やイスラム教を信じる国の人々の自殺率は、日本よりも低い。キリスト教圏の国としてはイタリア・スペイン・メキシコ・南米が上げられる。イスラム国家でも、エジプト・イラン・イラク・サウジアラビア・マレーシアなどは非常に自殺率が低い。両宗教圏の自殺率は10以下/10万であり、日本の半分である。キリスト教国でもプロテスタントが多いオランダ・フランス・ドイツ・はカトリック圏よりは少し高いが、日本よりは低い。なぜ、イスラム教圏やキリスト教圏は自殺率が低いのか。それはキリスト教でもイスラム教でも、自殺は厳しく禁じられてきたからだ。キリスト教では、自殺や自殺未遂は重罪として扱われた。これは自殺を禁じた教会に逆らうことを意味するからだ。中世のキリスト教社会では、自殺者に対して厳しい処分を行っていた。キリスト教に則った葬儀を認めず、遺体を冒涜し、財産を剥奪するという厳しいものであった。なぜこのような厳しい処分を果たすことになったのだろうか。歴史をさかのぼって、ローマ時代初期のころ、キリスト教は、ローマ帝国から厳しく弾圧されており、邪教と見なされて、棄教しなければ殺されることもあった。実際に、ほとんどの十二使徒や、パウロは殉教している。それでもローマ帝国内に伝播していった。それは信者が死を恐れなかったことが大きい。キリスト教では神を信じて殉教する者には、天国が待っていると教えられ、死後、この上ない名誉が与えられた。教会から聖人と認定されると、称えられ、正式に名が記録された。西暦392年にローマ帝国の国教となると、迫害されることはなくなった。しかしそれでも、殉教を模して、死を選ぶ者が絶えなかった。そこで、教会の指導者たちは、殉教の神聖さを守るために、自殺に対しては厳しい態度を取らざるを得なかった。一方、イスラム教ではいかがであったのだろうか。イスラム教の教典、コーランの中には、教義として自殺を明確に禁止している。イスラム教の信者にとってコーランの教えは絶対であり、強く意識されており、これに反して自殺することは、タブーに近いのだ。しかし、聖戦のために自分の命を捨てることは、自殺とはみなされず、むしろ最高の名誉と考えられている。では、日本ではどう捉えてきたのか。キリスト教やイスラム教に比べると仏教は自殺に寛容である。この寛容の意味であるが、自殺を認めていると言うことではなくて、自殺を重罪として処罰しないという意味である。これらの影響があるのか、東アジアやスリランカという仏教圏では、自殺率が高い。神道も仏教に近い傾向がある。むしろ日本では、自殺の儀式すら生まれている。武士にとって、責任を取って切腹することは、むしろ名誉ある行為とされた。この傾向は明治時代になっても続き、明治天皇の没後、殉死した軍人が名声を高めたこともある。その軍人の死を美化することに、疑問を投げかけた言論人がいたが、一般大衆から厳しい攻撃を受けた。日本人にとっては、自殺することよりも、死者を批判することのほうがタブーなのかもしれない。
マクロの視点から自殺率を議論するときは、次の三点を押さえておくべきであろう。

1,国レベルの自殺率を決める一番の要因は、その国の幸福度ではなく、自殺へのタブー度である。
2,自殺率の低い国とは、宗教的理由で自殺を厳しく禁じてきた国である。
3,少子高齢化が進むと粗自殺率は上昇する

–富高辰一郎著「うつ病の常識はほんとうか」日本評論社より引用–

2012年09月01日
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