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2014-01-04

60.早期発見・早期治療と疾病啓発・疾病喧伝について、

疾病啓発(desease awareness)と疾病喧伝(desease mongering)とは、同じ営みである。積極的な意義が強調されるときは疾病啓発と呼ばれ、その商業主義が批判されるときには、疾病喧伝と呼ばれる。疾病啓発・疾病喧伝を理解するには、製薬会社の本質を知る必要がある。彼らは何を対象としているのか。患者ではない。市場である。すなわち、営利を目的にしている社団である。本来製薬会社は、市場の拡大こそ営利への道と判断すれば当然それを追求する。「患者がそこにいるのではない。製薬会社のアイデアこそが、そこに患者を作り出すのだ」となる。製薬会社がアイデアを絞って、患者を作り出そうとすれば、ターゲットは病気から健康へとシフトする。
 疾病啓発キャンペーンを打つ場合には、いくつかの共通点がある。第一に、対象として正常と異常の境界域に狙いを定める。身体疾患においては、たとえば、逆流性食道炎、壮年性脱毛、勃起障害、過活動膀胱、月経前緊張症、女性性機能障害などである。それらは存在しない疾患ではないが、生理的な範囲の境界が曖昧で、どこから疾患と見なすかの判断が難しい。だからチャンスである。製薬会社にとっては疾病の範囲が広がれば市場が拡大する。第二に、疾病としては致死性も緊急性もないものに限る。なぜならば、患者が死亡してしまえば、薬は使われなくなる。マーケティングの観点からいえば、患者がすぐに死なず、かつ、治ることもなく、生涯にわたって飲み続けてくれることが理想である。第三に、患者は多いほどよい。珍しい疾患では処方枚数も増えず、大きな利益は望めない。コモン・ディジーズこそが狙い目である。第四に、これが最大の特徴だが、投薬期間が長い治療薬こそ望ましい。消化性潰瘍を例にとれば、製薬会社にとっては、ヘリコバクター・ピロリの除菌よりも、胃酸分泌抑制薬のほうが好都合である。前者の治療には数日から数週間にすぎないが、後者は数ヶ月から数年であるからだ。
 精神疾患は、上記四条件をほとんど満たしており、疾病啓発にとっては理想的といえる。しかし精神科にはスティグマ(偏見)という難題がある。そこで製薬会社が考えたのは、スティグマの少ない非精神病圏の、うつ病である。「心の風邪」というキャッチフレーズで、人々の偏見を取り除き、受診への抵抗感を軽減する作戦である。結果として、正常に近い人も受診するようになるが、そこに製薬会社の思惑がある。 人々に健康不安をあおると同時に、医師に対しては潜在的な誤診不安をあおる。薬剤パンフレットを作り、有名医師に意見論文を書かせたり、数名の医師に座談会を行わせて、その模様を掲載する。その際の論調は、例外なく過小診断を断罪するものであり、疾病看過が如何に不幸な結果をもたらすか、また誤診が医師として如何に許し難いかを強調する。疾病喧伝の欺瞞は、それが簡単にそうとは見抜けない点にある。
 しかし精神科医が、製薬会社を非難するとしても限界がある。統合失調症という難治疾患を抱えており、向精神薬なしに精神療法や療養指導だけでは対処できないからだ。これら疾病啓発は本来、精神科医自身が、臨床的な知見に基づいて行うものであり、製薬会社の利益目的で行われるべきものではない。また、拙速な薬物療法は控えるべきである。
 
-井原裕 著・精神科治療学2013・11より抜粋引用した-

2014年01月04日
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