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2016-06-04

89.なぜ疑似科学が社会を動かすのか?

「どうして疑似科学のような根も葉もないことを皆、信じるのでしょうか」という質問を受ける。この質問は、「根も葉もないことはふつう誰も信じない」という前提があるが、この前提のほうが間違っている。ヒトは、根も葉もなくとも信じたいことがよくあるのだ。たとえば、「君の肩にある星形のアザは勇気の印だ」などといわれると悪い気はしない。しかし、星形のアザと勇気の間には何の関係もないのは、科学を論じるまでもなく当然のことである。ただ「かつて部族を救った勇者にもに同じ型のアザがあった。キミはその生まれ変わりだ。生きとし生ける生命はみな生まれ変わっている」などと語られると、信憑性が上がる。たとえ、根も葉もない架空の物語であっても、ヒトに対して様々な効力を及ぼす。個人の人生を好転させたり、社会への大きな貢献を促すまでになったりする。逆に、個人にとっても社会にとっても否定的な影響力を持つこともある。疑似科学とは、科学の装いにより信憑性を上げている巧妙な物語である。しかし、信じていけないわけではない。個人や社会にとって意義があるならば、信じておくのもよい。ただ、そうした物語を「科学である」と誤解して信奉してしまう面は、疑似科学の大きな問題点である。疑似科学を信奉することで、科学まで誤解しかねないからである。文明社会の成立には、科学が大きく寄与している。人々が科学を誤解すれば、社会の運営にも問題を来してしまうからだ。
 最近最もよく目につく疑似科学は、いわゆる健康食品に関する広告である。健康食品の半分以上は錠剤や顆粒などの形態で、通常サプリメントと呼ばれている。サプリメント広告では、疑似科学の問題が顕著に出る。たとえば「しじみ500個分の話題成分を一錠に濃縮」などという一見科学的なキャッチフレーズで、「何か体によさそう」と消費者の購買意欲を刺激する。サプリメントを手にすると、科学に裏付けられた薬品であるかのように見えるが、実際は食品である。もともとサプリメントとは、摂食する上で欠けた栄養素を「補うもの(サプリメント)」として、ビタミン剤などを示す言葉であった。それが現在では、「健康を積極的に維持するもの」という意味に使われる。食品による健康維持は「多くの食品によるバランスの取れた食事によってなされる」というのが、政府・厚生労働省の見解である。昨今のサプリメント利用は、この「バランス」を大幅に逸脱しているといえる。まず食品は、長年の食習慣により安全性は実証済みとして、安全性を試験することなしに販売できる。しかし、何かの食材を「500個分濃縮」してしまい、愛用して連日摂取したら、かなり危険が懸念される。未知の毒性成分を大量に体内に取り込む可能性も出てくる。皮肉なことに、サプリメントによっては、過去に全く行われなかった人体実験を、不本意にも愛用者が参加させられているともいえる。医薬品の場合は、動物実験や臨床試験を通して安全性が一通り確認されているのに対し、食品は安全性がデータにより確認されていないという大きな欠落がある。効果や効能などの機能性に関しても、食品については、ほとんど調べられていない。だから、医薬品に関する法律により、食品は機能表示(広告やパッケージに**に効きます)と記載することはできないと規制されている。

-石川幹人「なぜ疑似科学が社会を動かすのか」PHP新書より引用-

2016年06月04日
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