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2020-05-01

136.「空気を読む脳」について、

   2018年Wcupロシア大会決勝トーナメントで、「ロストフの14秒」として知られる日本対ベルギー戦の話です。後半残り時間が殆ど無い中で、逆転されて敗退した試合で、多くのメディアは日本チームの健闘を称え、各選手がプレイ中に見せた輝きに焦点を当てた好意的な報道が多かった。試合後日本チームが使用したロッカールームがきれいに清掃されており、ロシア語で感謝のメッセージが残されていたこと、サポーターはゴミを残さず、きれいに会場を後にしたことなど、勝負とは異なる側面に着目した記事が、多くの人の心をとらえる現象は非常に興味深い。グループリーグで戦略的な負け試合を選び、16強入りが決まった時以上に、決勝トーナメントで日本チームの敗退が決まった時の方が、ここぞとばかりに賛辞が寄せられたことは注目すべきことである。美しいエピソードを報じるニュースが支持を得ていることを考え合わせると、勝負そのものよりも美しく振る舞うことのほうがより大切と、多くの人が無意識のうちに感じていたことになる。ワールドカップ関連のニュース記事やSNSにおける反応は、海外も含めて、総じて”醜く”勝ち上がるよりも”美しく”負ける方が価値があるという共通認識を、人々が自然に持ち合わせていることを示す。しかし、このメッセージは一見素晴らしいことのように見えるが、一方で非常に危険なものであることを忘れてはならない。顔の見えない人々の巨大な集合体から、こうしたメッセージが暗黙裡に発せられ、それを変えることは難しい、という点がその危険性をより大きくしている。なりふり構わず勝ちを確実に取りにいくことはなぜ”醜い”と言われるのか?対照的に、勝ち負け以外の何かを大切にしようとする行為は、なぜ”美しい”と称えられるのか。
 ここで「美しい、美しくない」は脳内のどこで判断されるのか?少し詳しく解説すると、美を感じる脳の領域は前頭前野の一部、眼窩前頭皮質と内側前頭前皮質だと考えられている。この部分は一般に「社会脳」と呼ばれる一群の領域で、他者への配慮や、共感性、利他行動をコントロールしている。内側前頭前皮質は、いわゆる「良心」を司る領域ではないかと考えられている。自分の行動が正しいのか間違いか、善か悪か、それを識別する部分である。 美しい美しくないという基準と、利他行動、良心、正邪、善悪などは、理屈の上で考えれば全く別の独立した価値なのだが、脳ではこれらが混同されやすいということが示唆される。我々はごく自然に、人の正しい行為を「美しい振る舞い」と、不正を行った人を「汚いヤツ」と表現する。脳はこれらを似たものとして処理しているようである。これらの機能は、我々ヒトでは突出して発達しており、それがヒトをここまで繁栄、繁殖させた源泉ではないかという考え方もある。美しい、美しくないを判定する領域も社会脳の一部であるとすると、この機能も社会性を維持するために発達してきたと考えられる。社会性を維持するには、各個人の持つ利他性を高め、自己の利益よりも他者または全体の利益を優先するという行動を促す必要がある。ただ、ともすれば自分が生き延びるためにはなりふり構わず個人の利益や都合を優先するという、生物の根本的な性質に反してまで、利他行動を積極的に取らせるために、脳はかなりアクロバティックな工夫をしている。正邪、美醜、善悪という基準を無理矢理後付にしてでも脳に備え付け、正、美、善と判定されたときに快楽物質が放出されるようにして、なんとかヒトを利他的に振る舞うように仕向けている。ところが自分の利益、自分の勝利だけを優先して戦略を立てるという行動は、せっかく備え付けたこの性質に真っ向から反してしまう。全体の暗黙のルールという社会性を破壊する行為をするとは何事か、と糾弾されてしまう。これはサッカーに限ったことではなく、最近では不倫や不謹慎な発言であった場合にも同様である。その個体の行動を、社会性の高いものに改めさせようとして、社会の暗黙のルールに従わないものに対して一斉攻撃が始まる。
-中野信子著「空気を読む脳」より抜粋引用-

2020年05月01日
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