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2022-10-03

165.痴漢外来-性犯罪と闘う科学について、

      痴漢の治療と聞くと「痴漢は病気なの?」「犯罪じゃないの?」「病院で治るものなの?」と様々な反応が返ってきそうである。中には「何でもかんでも病気で片付けるな!」「病気だといって責任逃れをするな!」「被害者のことをなんだと思っているのだ!」と言う批判や非難の声も上がるかもしれぬ。ここではっきり申し上げておきたいことは、「痴漢は犯罪である」のは明らかで、法治国家として処罰を受けることは当然のことである。しかしもともと依存症を専門とする医師や心理士、研究者は主に(覚醒剤や薬物、アルコール)などの治療・研究をしているが、痴漢などの性犯罪や性的問題行動がやめられないという人たちも、同じ依存症の一種として治療を考えているということである。痴漢を治療すると言うと、「痴漢は罰するものであり、治療の対象ではない」と長い間考えられてきた。しかしこの考えは時代遅れになりつつある。最近の犯罪心理学の知見では、「治療を伴わぬ罰則では再犯防止効果は無い」ということが明らかになってきた。犯罪者は、犯罪に関する数多くのリスクファクター(危険因子)を持っており、その代表的なものは「反社会的認知」がある。反社会的認知とは、社会規範を軽視したり、自分に都合良く物事をとらえる「認知のゆがみ」のことである。これは本人の独特な考え方の癖のようなものであり、自分では気づいてないことが多い。従って、認知行動療法と呼ばれる心理療法を用いて、そうした認知のゆがみを修整する。刑罰だけは、このような犯罪に直結する心理的な問題の修正まではできないため、刑罰に加えて心理的な「治療」を実施することにより、再犯の防止をする。これが犯罪者に対する治療という考え方である。犯罪者に対する認知行動療法による「治療」効果のエビデンス(科学的根拠)を見ると、全く「治療」を行わない場合と比べて、「治療」を行った場合には、再犯率を半分から2/3くらいに抑制できることが明らかになっている。性犯罪者だけを見ても、処罰の効果は限定的であり、再犯を押さえるのに最も有効なのは、認知行動療法による「治療」を実施したときであることが、数多くの研究から明らかにされている。
そして重要なことは、繰り返すが、これは何も処罰を否定するわけではない、ということである。より安全な社会を目指し、犯罪の加害を少しでも減らすことを目指した科学的な取り組みの一つである。「治療」の目的はあくまで、性犯罪のない安全な社会を造ることであって、「犯罪」を「病気」というレッテルに貼り替えて、その責任を曖昧にしようと言う企みではないことを理解していただきたい。
ここで、刑罰と治療の効果につきもう少し詳しくエビデンスを見る。まず、再犯率に関するデータを見ると、性犯罪者(刑法犯)の性犯罪再犯率は、一般に思われているほど高くはなく、約5%程度にとどまっている。性犯罪者の再犯はとんでもなく高いという誤解が社会に蔓延しているが、それは事実と異なることをまず押さえておきたい。だからといって、性犯罪やその再犯を楽観視して良いということではない。いくら再犯率が低くても、きわめて卑劣で重大な犯罪であることは間違いないのだ。冷静に対策を考えることが重要である。ただし、性犯罪全体に比べると、痴漢や盗撮は再犯率が高い。しかもその特徴は、同種犯罪、つまり痴漢や盗撮ばかりを繰り返している者が多いことである。法務省のデータによると、痴漢の同種犯罪率は執行猶予者で約30%、刑務所出所者で約50%となっている。刑務所に入っても、その半分はまた再犯をする。軽い処罰よりも、重い処罰の方が再犯率が高くなっていることがわかる。より詳しいデータを見ると、カナダの犯罪心理学者J.BontaとD.A.Andrewsによる研究では、刑罰のみや不適切な対処の場合、再犯率はやはり3ポイント程度増加する。一方、認知行動療法を実施した場合、再犯率は30ポイント程度低下する。そしてその効果は、刑務所内で実施したときよりも、保護観察などの枠組みを活用して、社会の中で実施したときの方が大きくなる。性犯罪に限定すると、アメリカの犯罪心理学者Doris Mackenzieらによる研究では、認知行動療法により、再犯率が半減することが明らかになっている。具体的には、治療をしなかった場合の再犯率は21%であったが、治療をした場合は9%であった。このようにエビデンスが明確に示している事実は、性犯罪に対処するには、刑罰だけは効果が無く、治療という選択肢を追加することではじめて、確実に再犯が抑制されるということである。
それでは痴漢などの性犯罪は、具体的にどのような「病気」なのか。DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル)やICD-11(WHOの国際疾病分類)では、窃触障害(せっしょく)という疾患がリストアップされている。「窃」とは「こっそり」という意味であり、字義通り解釈すると、「こっそり触る病気」ということになる。DSM-5では、その主な症状として、「同意していない人に触れたり、体をこすりつけたりすることから得られる反復性の強烈な性的興奮が、空想、衝動、または行動に現れる」障害であると記載されている。なお、ICD-11(WHOの国際疾病分類)には、2019年改訂で、「強迫的性行動症」という障害が新たに追加された。性的行動をやめたくてもやめられないという状態が、疾病であるとしてリストアップされた。まさに痴漢はこのような病態である。そして、こうした性的衝動や行動が反復され、やめようと思っても、やめられない状態に陥ってしまっている。コントロール不能になることが、この障害の大きな特徴である。
-原田隆之著「痴漢外来」より抜粋引用-

2022年10月03日
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