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2022-12-04

167.発達障害の外来診療におけるたとえ話について、

 

     外来診療では、診察した内容や臨床上の助言を患者さんや家族にどう伝えるかが、大切である。診療内容、病状の軽重、治療、予後、接し方のポイントなどをわかりやすく説明することは思案のしどころとなる。
1.聞いた言葉は揮発性、書かれた文字は不揮発性
ASD(自閉症スペクトラム)の人に指示を与えたり、約束をしたりというときに、口で話すよりも、文字を書いて伝えた方が確実に伝わることはよく知られており、文字や絵文字の活用はASDの人とのコミュニケーションに欠かせないアイテムである。
2.発達障害者への薬の効用は、例えて言うと機械にさす油のようなもの
発達障害の患者に適応を持つ薬物は何種類かあり、ADHD(注意欠陥・多動症)へのメチルフェニデートは最も古くから使われている。適応薬は徐々に増えているものの、これらの薬効はいずれも対症療法的であり、根治までは期待できない。発達障害治療の主軸は教育的アプローチである。学校での特別支援教育や就学前の早期介入における療育、あるいはペアレント・トレーニングによる家庭内対応にしても、教育的アプローチが中心である。薬物を投与することは、いわば機械に油をさすようなものであり、教育や訓練を妨げるような症状を軽減して、それらの効果を脇から支えることである。しかし、教育・訓練的アプローチのみでは限界があったADHDの激しい多動や注意散漫、あるいはASDの攻撃性や自傷行為、新奇場面や対人場面での酷い不安・緊張などに対して、適切な薬物療法が劇的に奏功することも事実である。
3.こだわりが目立つのは、こだわり方が足りないから
ASDには、特定の物事への強い執着と、それを妨げられたときの不安、抵抗、パニック、攻撃という行動特徴がある。この特徴の背景には物事への関心や興味の著しい狭隘化(きょうあいか)の心理がある。症状としてのこだわりと習慣的行動との関係は、紙一重の違いかもしれぬ。広い意味で、こだわり行動には、社会化されて人々が共有しているものと、非常に個人的なものがある。社会化されたこだわりには、エチケット、礼儀、習慣、慣例、儀式などがあり、その延長上には、地域の習慣や国の法律の一部もある。例えば、人は右、車は左の交通規則も、社会化されたこだわりの一つといえる。こだわりの強いASDの人は、良い習慣的行動が案外乏しいことが多い。逆に、年少の頃から良い習慣的行動を持つトレーニングを行った場合、礼儀正しく、約束を守り、ルールに忠実に振る舞う。すなわち、こだわりの傾向が生活習慣に置き換えられ、適応が良くなり、相対的にこだわり症状が目立たなくなると思われる。
4.障害、それとも個性?
発達障害に対して、これは障害なのか、それとも個性の一つなのか、という声がある。一見乱暴な理屈に見えるが、実は一考に値する。このような主張が登場した背景には、障害概念の拡大と軽症診断例の増加が揚げられる。例えば、ASDは2000人に一人程度の希な存在と考えられていたのは大昔のことで、現在は100人に一人を超える頻度であることが知られている。一方ASDの行動特徴について定型発達の人々を調べると、ASDの行動特徴は弱い人から強い人まで幅広く分布し、中にはASDの診断に匹敵するほど強い特徴を持つ人もいる。とすれば、確かにASDは個性の延長上なのかという議論が起きても不思議ではない。没価値的な態度でASDを一つの特性として捉えると、たとえば論理性と確実性を好み、以心伝心の了解事項や曖昧さを含んだメッセージを好まないことが揚げられる。この仮説に沿って考えると、ASDはもともと非病理的で没個性的な特性が、限度を超えて強くなった事態と理解することもできる。限度を超えて強く存在すると、ASD特性が病理性を獲得して人の行動を支配して、人の行動に固い枠を嵌めて、適応に柔軟性を失わせる。これらのことを例えていえば、隠し味の使い方で言い換えられるかもしれぬ。カレーにチョコレートやコーヒーを少し入れて、味に深みを出す、スイカに塩を少し振って、甘みを強めるなどは、食材を美味しくいただくための常套手段である。この例えを使うならば、ASD特性とは、塩を振りすぎてしまったスイカのようなものかもしれぬ。少量ならば甘みを引き立ててくれたものが、大量になると本来の持ち味を失わせる。ASD特性とは、少量では適応行動にむしろ促進的であったものが、大量に存在すると逆転して病理性が現れる、とまで理屈を発展させられる。この説の真偽は無論、定かではない。しかしASD特性というものは、むしろ少しは持ち合わせていた方が人間味を一味深めることになるのかもしれない。
清水康夫「発達障害の外来診療におけるたとえ話の活用」
-2022年7月精神科治療学より抜粋引用-

2022年12月04日
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