61.「人は死ぬとき何を後悔するのか」について

   今回はホスピス医師をされている方の話を引用して述べてみます。人は皆、いずれは死ぬわけですが、多くの人の死に方や、生き方に接していると、死ぬということは、「束の間の生を受けたものが、自然の仕組みの世代交代でこの世を去る」という現象に他ならないと思う。がん死だけでなく、突然の事故死、脳出血致死や心筋梗塞死、難病死、手術ミス死など、いろいろな死に接して感じることは、人は大脳が高度に発達したが故に、死に対する感傷も思想も限りないが、生命体としては、他の生物の死と本質的には変わらないということである。ホスピスの医師をしていると、多くの方の最期を看取ることになるが、いくつかの特徴が見られる。
 「死を忘れた日本人」ホスピスにくる患者に接すると、自分が死ぬということをあまり考えたことのない人や、どうしても死を認められない人が増えている。若い人は当然だが、中高年の人にも多く、特に、金や権力のある人にこの傾向が強い印象がある。自分も平均年齢までは生きられると考えている人が多いが、その一方で、平均年齢に達しないで亡くなる人も多い。日本は「寝たきり老人」が世界一多く、脳卒中の後遺症や、認知症などで自分で食べられなくなったために、胃瘻(腹壁から胃に管を通して食べ物や薬を流し込む処置)で生かされている人が5万人以上もいる。北欧の老人施設を見学して驚くのは、寝たきり老人や胃瘻で生きている人がいないことである。これは日本の介護と欧米の介護の考え方の違いで、欧米ではどんなに手がかかっても、最期まで自力で歩かせ、自力で食べるように仕向け、それができなくなったら、あまり手をかけない。意識がなくなって回復の可能性のない人に胃瘻で生かし続けるという考えはない。がん患者の在宅死の率は、アメリカでは8割、ヨーロッパで5~6割、しかし日本では1割弱である。病院は死を迎えるには適切ではない場合が多く、住み慣れた自宅で、家族や孫の声を聞きながら死ねるのが一番ではないかと思う。生命あるものすべてが、早晩例外なく死を迎えることは自然現象で、死には金も権力も全く無力である。がんで助からないと分かると、ほとんどの人が「こういう病気で今死ぬとは思わなかった」と述べる。実際には、人は常に死にまとわりつかれて生きている。人が死に向き合う時は、それまで身につけていた社会的衣のすべてが剥がれ、むき出しの個人になる。繰り返すが、死に直面すると、金、権力、名誉などの社会的衣は全く役立たない。
 「人は生きてきたようにしか、死ねない」死に直面しても、その人の性格の本質が変わることはなく、自立心の強い人は死ぬときも動揺が少なく、世の潮流に流されながら、他人や社会への依存心の強い人は死に向かうときに不安や動揺が顕著になる。確かな死生観を持って、誠実に努力して生きてきた人は、死に様も立派な人が多い。 「金で命は引き延ばせるか」金さえあれば世の中にできないことはないと思っている人がいるが、そういう人が死に直面すると、金ではどうにもならないことに憤慨して不穏な気持ちになる。特に多いのは免疫療法に対する"思い込み"である。特別高価な免疫療法が効かないわけはないと誤解している人が多い。民間の代替医療も高いほど効くと誤解している人が多い。
   -小野寺時夫「人は死ぬとき何を後悔するのか」より引用-
2014年02月02日

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