58.プラセボ効果の吟味と精神療法の再評価について

   プラセボ(偽薬)効果は、医師による薬物療法が薬の直接作用に加え、心理的な影響を及ぼしている可能性、ひいては暗黙のうちに精神療法課程を発動させているのではないかという幅広い検討に通じる。たとえば、同じ薬でも投与する医師が、社会的地位のある熟練した医師なのか、まだ経験の浅い研修医なのか、あるいは親身になって熱心に治療に取り組む医師なのか、あまり愛想がなく淡々と治療を進める医師なのか、高い精神療法的素養を持った医師なのか、そうした素養の全くない医師なのかなど、医師の個人差によって、効果発現に違いが出てくることが臨床に携わるものの間で、印象として知られている。  このような現象は、実際の臨床で薬物療法を行う場合、治療者の知らないところで薬の直接効果とは別の要素が付加されてくることを示唆している。この種の心理的側面について、正面から問題にする姿勢は今日の医学には乏しい。脳科学を信条とする時代にあって、プラセボの研究は正当な科学的治療から排除されている観がある。今日、プラセボが臨床の現場から姿を消した何よりの理由は、1990年代から医療に浸透し、2000年代に入り定着を見た「説明と同意-インフォームドコンセント」の原則に求められると思われる。実際、患者に説明することなしにプラセボを投与することは倫理的見地から大きな問題となる。もしも仮に正直に「偽薬を投与します」と患者に伝えるなら、プラセボ効果の可能性が最初から締め出されてしまい、プラセボ投与の意味がなくなってしまうことは明らかである。その一方で、開発された新薬の治験の分野では近年、プラセボを使用した二重盲検試験を必須とする指針が強く打ち出されるようになった。この指針は、薬の実際の効果を誰から見ても分かるようにするという客観性の要請に裏打ちされている。その意味では、この2つの現象は、曖昧な部分をなくし、客観的な根拠のもとに医療を進めるという透明性の原理に由来するという点では共通していると見ることもできる。
   皮肉なことに、新薬の治験から、一定程度のプラセボ効果の存在を支持する多数の臨床知見が蓄積されている。新薬が製品として認可されるには、新薬がプラセボよりも勝る効果を出すことが必要条件となる。また、ある薬物療法に関する一定のエビデンス・ベースド・メディシン(EBM)を確立するには、薬理学的には効果のないプラセボとの比較対照試験が前提となる。そこで要請されるのは、薬の有効な作用についての客観的裏付けを確立することである。この厳密な方法は科学的にはきわめて理に叶ったものといえる。なぜなら、病気は単に自然な経過で改善することもある。医師-患者関係を含む治療的な環境だけで改善することもある。これら薬の関与しない効果を除外してはじめて、薬の効果について客観的裏付けがなされる。治験でプラセボは自然治癒の効果と、薬なしでの医療的環境の効果の双方を指し示す役割をあてがわれていると考えられる。しかし、治験を重ねる中で、プラセボに勝る効果を発揮するという条件をクリアすることが意外に困難なことが明らかになってきた。そのもっとも大きな理由は、プラセボ自体が予想以上に効果を発揮する場合が少なくないこととがあげられる。厳密な科学的方法論のもとに進められた治験は、精神療法の意義を裏付ける結果をもたらしているように見える。薬物療法について言うならば、この治療は精神療法を抜きにして語れない局面が明るみになってきた。
-加藤 敏「プラセボ効果と精神療法の再評価」精神神経学会教育講演より引用-
2013年11月10日

31.うつ病治療における大規模臨床研究の意義と限界について、

   抗うつ薬の臨床効果を見るために、数多くの臨床研究が行われている。しかし、これらの臨床研究では、対象とした患者群に、はじめから差をつけて効果を見ていると言う批判がある。すなわち、対象とする群の患者は一般的に重症度が低く、精神症状も少ないという。このため、より実際の臨床に近づけるために、より大規模でより広範囲、そして参加しやすいように単純化することが望まれている。2006年に行われた代表的な臨床研究(STAR*D、Sequenced treatment alternatives to relieve depression study)を例に取って少し詳しく説明すると、全米の精神科専門施設とプライマリー・ケア施設から約4000名の外来患者を対象に、初回のSSRI治療で十分な効果が得られなかったうつ病患者に対して、次に行う治療として何がより適切かを検討するものである。研究のデザインは4段階に分かれており、レベル1はシタロプラムにて、14週間治療され、寛解しない、あるいは認容できない者はレベル2へ進む。このレベルでは、ブプロピオン、セルトラリン、ベンラファキシン、あるいは認知療法に切り替える。併用群はシタロプラムに、ブプロピオン、ブスピロンもしくは認知療法が追加された。これでも良くならないものはレベル3へ進む。変更群はミルタザピンもしくはノリトリプチリン、併用群はすでに処方されている治療に、リチウムもしくは甲状腺ホルモンT3が割り当てられた。これでも反応しなかった者はレベル4として、すべての治療を中止して、トラニルシクロプロミン(MAO阻害剤)もしくはベンラファキシン+ミルタザピンのどちらかに割り振られた。結果はレベル1の寛解率は27.5%、レベル2での寛解率はブプロピオン21.3%、セルトラリン17.6%、ベンラファキシン24.8%、認知療法25%、併用群の寛解率はブプロピオン29.7%、ブスピロン30.1%、認知療法23.1%であった。レベル3での、変更群の寛解率は、ミルタザピン12.3%、ノリトリプチリン19.8%、併用群ではリチウム15.9%、甲状腺ホルモン24.7%であった。また、レベル4では、変更群の寛解率はトラニルシクロプロパン6.9%、ベンラファキシン+ミルタザピン13.7%であった。結論として、変薬や併用を試みると症状の改善することは示唆されたが、変薬と併用ではその効果に大きな差はなかったということである。この結果を見ると、うつ病について、どの治療法でも、せいぜい2~3割くらいの寛解率であるという厳しい現実を突きつけられる。もちろん実臨床の現場では、もっと多くの薬や治療法を選択する余地は残されているものの、一つの結果が示されたと見るべきであろう。
-中川敦夫、うつ病治療における大規模臨床研究の意義と課題、分子精神医学  2010.10より引用-
2011年07月27日

27.臨床経験とエビデンスについて、

 1991年にGuyatt論文でEBMと言う概念が生まれてから20年。日本の医療現場でも、EBMやエビデンスという言葉が普通に使われている。とはいえ、実際にはEBMやエビデンスをめぐる根深い誤解も少なくない。EBMというと、「臨床家の勘や経験ではなく科学的根拠(エビデンス)を重視して行う医療」と言われる場合があるが、このような説明でEBMは、多くの臨床家に反発され、時には臨床家の気持ちをくじけさせてきたように感じる。1996年にBMJの論文で、Sackettは以下のように述べている。「EBMとは個々の臨床家の持つ専門性・熟練と、外部から得られる最良のエビデンスを統合すること」「個々の患者のケアについての意志決定に際して、現時点での最善のエビデンスを良心的に、明確かつ思慮深く利用すること」-conscientious,explicit,and judicious use of current best evidence-
これから分かるように、エビデンス(いわゆる大規模臨床試験であっても)というものがあれば、臨床の個々の判断が一律に決まってしまうものではないということだ。エビデンスはEBMを実践するための「大切な要素の一つ」であって、臨床家としての経験も同じくらいに大切にしている。臨床経験はその一つ一つが貴重で、かけがえのないもので、「臨床家の経験も専門家としての判断のよりどころになる」ということは、当然すぎることだが、なぜEBMは臨床経験だけでなく、それに加えて「最良のエビデンス」も強調したのか?少数の患者の臨床経験を報告する症例報告は、医学の進歩に大きな役割を担ってきた。特に新たな疾患の発見やまれな疾患の治療法の研究では、症例報告無しには何も始まらない。しかし日本の臨床現場では「1例」すつを大事にする一方で、全体の傾向(一般論として正しい情報)を知ることが後回しにされてきた感がある。 目の前の患者さんが、どのような「母集団」からきたものかを意識して、その情報を適切に取り扱う術を知っておく方が臨床家にとっては大いに役立つ。病気の頻度、危険因子、予後、適切な治療に関する正確な知識など、「一般論として正しい情報」を知ることは、決して無駄ではない。EBMは、「臨床経験」と「一般論として正しい情報」、すなわち「最良のエビデンス」の「合わせ技」で、より良い医療を目指そうとした提案であった。最近、「そのエビデンスは?」という質問を耳にするが、今はむしろ、エビデンス至上主義、すなわち個々の臨床経験をあまり重視せず、個別性を考慮しないような傾向が強いのではないか。これは逆の意味でEBMの定義から外れることになるだろう。
      -中山健夫(EBMの道-1:Medical asahi:4,56-57.2011)より引用-

2011年04月09日

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