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2025-10-01

201.大人の愛着障害について

  

愛着障害とは、乳幼児が母親などの養育者との間に心理的な結びつき、すなわち愛着(アタッチメント)を十分に形成できなかったために引き起こされる精神疾患である。WHOの国際疾病分類11版(ICD-11)における「反応性アタッチメント症」、および米国精神医学会による精神疾患と統計マニュアル(DSM-5)の「反応性アタッチメント障害」がこれに当たる。この両者とも、愛着障害を「子ども」の障害として位置づけている。つまり、「大人の愛着障害」という正式な疾患概念は現在のところ、まだ存在しない。
 それでも、愛着障害のある子どもが大人になってもその障害を引きずったままであれば、それが「大人の愛着障害」と考えることができる。実際、愛着障害は成人後も、長期にわたり、その人を苦しめる事になりやすい。ただ、大人になるに従って、子どもであれば発見しやすい愛着障害の特徴は見えにくくなる。そして、表面的には不安障害などをはじめとした様々な精神疾患が前景となったり、精神疾患とはっきり言いにくい情緒の不安定さなどを呈したりすると考えられる。そのため大人の愛着障害を見出したり、診断したりすることは簡単ではない。さらに、「大人の愛着障害」であるというためには、「幼少期に愛着障害の診断を満たす状態であったこと」や、「不十分な養育の様式を経験したこと」をはっきりさせる必要がある。と言うことは、明確な診断はかなり難しいことになる。それでも、「子どもの愛着障害を引きずった大人の愛着障害」は、成人期の精神科臨床において重要なテーマになりつつある。
 愛着障害の原因の1つに、幼小児期に虐待もしくは虐待的な「不適切な養育」が存在することは、よく言われているが、実は虐待や虐待的な養育が無くても、愛着障害的な問題は起きているのではないかと考えている。これまで、このコラムには、症例を挙げたことはなかったが、今回はより分かりやすくするために、一例をあげることにした。(匿名性を担保するため改変している)
以下には、ことさらに不適切な養育を受けていない症例を挙げてみる。
30代の女性、3人の子どもの母、子育てをしつつ、フルタイムで働いている。不眠や不安感、過呼吸、気分の落ち込み、などを主訴に外来を受診した。元々メンタルは強いほうではなかったが、今回の受診までは、診療を受けることはなかった。きっかけとしては、2ヶ月前に職場の上司を含めた大移動があった。頼れる人が居なくなり、辛さが増してきた。不眠や食欲不振、抑うつ気分に加えて、思考抑制も認められたため、うつ状態の診断書を書いて休職してもらい、通院となった。そして抗うつ薬を処方したところ、2ヶ月ほどで初診の頃のうつ状態はかなり改善した。しかし、家事と3人の子どもの育児をすることで手一杯であった。本人の状態について夫は理解が有り、「仕事はしばらく休めば良い」と言ってもらえたことは本人としては助かった。ある程度回復したが、職場復帰はまだ難しい、という状態がしばらく続いた。 筆者としては、休養と投薬でかなり回復したが、このまま薬中心の治療で寛解まで持って行くのは難しそうな印象を受けた。その理由は、うつ状態が改善しても、思考が常に自責的、自己犠牲的であるという印象を受けたからである。そこで、これまでの生活や内面について、毎回の診察で、少しずつ、詳しく尋ねることにした。すると彼女は色々なことを語ってくれた。断片的に語られたことをつなぎ合わせると以下のような内容であった。
1.夫は「少しずつでいいよ」と言ってくれる。でも夫にも負担や心配をかけている。このままじゃいけない。「頑張らないと、頑張らないと」と自らに言い聞かせている。
2.時に痛みが欲しくなる。針で手を刺したりする。痛みが欲しくなるのは泣くのを耐えるため。子ども達や夫の前では泣けない。夫は以前「すぐ泣く女は面倒だから嫌いだ」と言ったことがある。泣いたら負けだと思っている。けれど無性に泣きたくなる時がある。動けそうにない時も、体に痛みを与えると動いて働ける。痛みで安心する自分もいる。
3.そういう弱い自分を職場では一切出せないし出さない。職場ではテンションを上げて、元気に振る舞う。人の相談にも乗る。いろんな人が自分に相談を持ちかけてくる。偉そうなことは何も言えないので、話を聞くだけ。フンフンとうなずくだけ。でも、皆、私に相談してくる。困っている人を見ると放っておけないので、声をかける。相談してもらえるのは嬉しい気持ちがある。しかし、だんだん心が重くなり、辛い気持ちになる。
4.人には気を遣う。職場でも、夫にも、親にも気を遣う。夫もそれに気づいていて「オレに気を遣ってどうする」と怒られる。夫に限らず人に気を遣いすぎて、相手をイライラさせてしまうこともある。気を遣わなくて済む人はいない。
5.小学生の頃から学校では明るく過ごすようにしていた。自分のテンションが下がって担任の先生が心配すると母親に連絡が行き、心配をかけるから。
6.誰かが叱られているのを見ると、自分が叱られている感覚に襲われて、気分が悪くなる。
 以上のような気持ちで彼女は生きてきた。筆者が「自分をいたわる、可愛がるってできますか?」と尋ねると、「ピンとこない。やり方が分からない」という。「自分の中に自分の味方はいますか」という質問には「いないですね」というので、「前はいましたか」と尋ねると「ずっといません」と答える。「ビクビクして生きている印象で、優しい夫も可愛い子どもたちもいるのに、なんだか孤独という感じがするけど」と尋ねると「私は孤独。私はいらない子」であるという。「自分のことは好きと言う感覚は?」という問いには「嫌いです」 と即答する。「あなたは人に対してとても優しい人だけれど、それを褒められる事は無かったの?」と尋ねると、「先生にも親にも褒められてきたと思う。褒められることは嬉しい。けれど、褒めてもらうにはそれしかないので、もっともっと気を遣わないといけないのだ、と思うようになった」という。
 幼少期のことを尋ねた。父親は結構厳しい人だったようだが、母親は特に厳しいことはなく、不適切な養育を受けたわけではないようだった。ただ、「叱られている人を見ると自分が叱られているように感じる」のは、叱られることに関してトラウマ的な体験がある可能性を感じたので、その点も尋ねてみた。すると、特にトラウマ的な何かがあったわけではないが、自分なりに大人の顔色を見ながら、気を遣って頑張っていても叱られることもあって、「気を遣って頑張り続けなくてはいけない」「自分がそれなりにいい子だと思ってもらえるのは、頑張って気を遣っているからであり、それを辞めたら、自分には価値がない人間になる」という。「自分から気を遣う努力を取り去ったら、つまり素の自分には、生きている価値がないということ?」と尋ねると、「そうだと思う」と答えた。「特別酷く叱られたりした事は無いが、少しでも叱られると、自分は生きている価値がないと感じるということ?」「そう、叱られたらもう自分はダメなので、とにかく叱られないようにと思ってやってきた」という。
 毎回、少しずつ話を聞きながら「大変な人生を生きてきたのですね」と労をねぎらい続けた。
普通の健康な人生を生きてきた人は、あなたほどには人に気を遣っておらず、「自分は生きて良い」と概ね思っているし、頑張れないときがあっても、愛されなくなったりしないと思っている。
人に気を使うばかりの人生になって、自分を肯定する気持ちは徐々に薄らいでしまった。褒められれば褒められるほど、自分が追い詰められてしまったのではないかと話した。そして、これからあなたに必要なことは、自己肯定ができるようになっていくこと。そのためには 素の自分をまず誰かが肯定する必要がある。素の自分にも魅力があると褒めてください。あなたの心の中に、それを否定する気持ちが出てくるが、人に気を遣わなかったとしても、あなたには魅力がある、と力づけた。初めのうちは自己肯定すると反動のような苦しさが来ると述べるため、その苦しさを受け止める手伝いをした。これらの治療は「自分で自分を育て直す作業をすること」と説明した。
-村上伸治著「発達障害も愛着障害もこじらせない」より引用-

2025年10月01日
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