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2026-06-01

209.日本漁業の不都合な真実、その1。2026.6

 今回は、医療とは全く関係の無い領域の話である。いや、厳密に言えば、栄養バランスの問題に絡んでくるから、医療と全く無関係というわけでは無いのかもしれない。なぜこの話を書こうと思ったか。その理由は、本書を読むまで、うっすらと日本漁業の衰退について、知ってはいたが、しっかり読んでみて余りに自分が無知であったこと、ほとんどショックといっても良いくらいの衝撃を受けたからである。すでにご存じの方は、今更何を入っているのか、 と思っておられるかもしれませんが、とりあえず、以下ご紹介してみます。
ここ数年、日本漁業が急速に苦境に陥っている。
2023年に世界の漁業・養殖業生産量は2億2700万トンに迫り、過去最大を記録している。一方、日本の生産量は減少を続け、383万トンとなった。過去最大だった1984年からは約70%も減少をしている。クロマグロやトラフグのような高級魚だけでなく、我々に馴染み深い大衆魚のサンマやスルメイカ、アキサケの漁獲量も、近年激減し、価格は高騰した。水産庁によれば、サンマの産地価格は2006年に1Kg当たり70円が、2021年には同600円強に高騰、2023年には425円まで下がったけれど、実に6倍にもなっている。
漁獲量だけではなく、漁業者も減少の一途をたどっている。水産庁によれば、2023年の漁業就労者は12万1389人とされており、2013年の18万985人の7割弱まで減少している。このままでは30年後には漁業者がいなくなり、日本の食卓から国産魚が消えるのではないかと悲観的な予測を行う論者もいるほどである。
かつて世界最大の漁獲量を誇り、全国の津々浦々に美しい漁村があり、世界一魚を食べる国だった日本。その姿はすっかり変わってしまった。このまま漁業が縮小し続ければ、食糧自給率にも、大きな影響がでる。2013年度の国内魚介類生産量は429万トンだったのに、2023年度には342万トンまで減少した。この間輸入量も減少しており、輸入分を含めた国民1人当たり食用魚介類の純食糧ベースの年間消費量はこの期間で27.4Kgから21.4Kgまで大きく減少している。漁業が失われることは国民にとって大きな損失ではないだろうか。
  そんな中に、気になる動きがある。2023年度の水産白書に特集された「海業(うみぎょう)」 である。水産庁のホームページによれば、「海や漁村の地域資源の価値や魅力を活用する事業で有り、国内外からの多様なニーズに応えることにより、漁村の賑わいや所得と雇用を生み出すことが期待される」とされる。さらに同白書は「水産業と相互に補完し合う産業である海業」とも表現されており、水産業(漁業)ではない産業と認識される。
 これはもともとバブル経済前夜の1985年、神奈川県三浦半島において漁業と観光、漁村とリゾート開発を結びつけ、都市近郊漁村地域の経済的発展を推進しようとした取り組みがあった。これが「元祖海業(うみぎょう)」であり、当時の三浦市長の造語であった。40年前の話である。
 肝心の三浦市の漁業の発展は、というと大きく衰退している。農水省の一斉調査「漁業センサス」によれば、1988年には漁業就労者は1687人であったが、10年後1998年は1089人、そして30年後の2018年には518人まで減少。この減少幅は同時期の全国の漁業就労者数を上回っており、残念ながら「海業」の成果があったとは言えない。
不思議なことに、一度失敗した「海業」が今頃になって、再び重要政策として復活した。2022年度策定の「漁港漁場整備長期計画」においても、同じような文言で地域の賑わいや所得・雇用を生み出すとしており、再び「海業」の推進を掲げている。
ありていに言えば、漁業では無い観光業などの経済活動により、海や漁港を有効利用して、漁村地域における所得と雇用を生み出すという政策である。しかし、水産庁はそのために漁港漁場整備法や水産協同組合法の改正まで行う力の入れようである。水産白書によれば、釣り人口やプレジャーボートの隻数が近年横ばいか減少していること、つまり「海業」に対する国内需要の縮小を認めた上で、外国人観光客によるインバウンド需要に期待していることを堂々と主張している。漁民の所得を増やすことをもはや諦め、漁村がなにか別の物になることを目指そうとする政策になっている。
しかし、漁村は古来我々の食糧生産の場として、また、休日の憩いの場として存在していたはずである。漁村を「儲からないから」存在意義が無いものと決めつけ、「儲かる」物に作り替えること、儲からぬ漁業から儲かる観光業に置き換えることが、本当にその地域のため、そして我々のためになるものなのか。
 フランスの経済学者トマ・ピケティーはハンガリーの経済人類学者カール・ポランニーを引き合いに出して、現在世界中で拡大しつつある新自由主義的な社会、すなわち「儲かる」ことを軸にして作り替えられる社会、「経済に埋め込まれた社会」の過ちを指摘している。そしてそれとは逆に、あるべき社会の維持・創造のために「儲かる」ことが奉仕する社会「社会に埋め込まれた経済」への転換を主張している。
漁民が家計維持のために自ら兼業を営むのは分かる。あるいは経営コンサルタントが地方自治体から依頼され、漁村地域の短期的な所得向上のために描いたビジョンだというなら理解できる。しかし、もっと長期的、多面的に漁村を評価し、国民的立場からその未来を考えるべき国が、こうした短期的な発想に立つ政策を全国で画一的に推進することは正しいのであろうか。短期的で個別的な「儲け」だけを追求し続ければ、長期的で国民的な利益は失われる。
 ここで参考になるのは、世界的数理経済学者の故宇沢弘文氏が提唱した「社会的共通資本」 という考え方である。地球温暖化を食い止めるために各国の1人当たり国民所得に比例して税金を果たすという、公平な「比例的炭素税」構想も宇沢のアイデアである。但し、このアイデアは米国とその利益を代表する新自由主義経済学者らに反対され、採用されなかった。社会的共通資本とは、「ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を、持続的、安定的に維持することを可能にする」ような自然環境や社会装置である。

 佐野雅昭著「日本漁業の不都合な真実」より、抜粋、引用した
2026年06月01日
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