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2013-03-01

50.恐怖記憶の形成・消去と海馬の関係について、その2。

さて、前回の記憶と海馬の関係で述べた消去学習であるが、実は一度形成された恐怖記憶が減弱・破壊されたように見かけ上見えるが、忘却したしたわけではない。動物はこの、CS(conditioned stimulus:嫌悪感のない条件刺激)によって、危険が訪れないことを新しく学習することにより、CR(conditioned responce:条件付けが成立した動物はCSのみの暴露により恐怖に対する条件反応を生じること)が生じなくなると考えられている。何故ならば、消去学習が成立した動物において、ある条件下では再びCRが生じるspontaneous fear recovery, reinstatement, renewal という3つの現象が知られているからである。sponteneous fear recovery はすでに消去学習が成立した動物を2~3週間ホームケージで飼育した後にCSに再暴露させただけで再びCRが生じる現象である。reinstatementとは、何もしていない動物に与えた場合に条件付けが成立しないほどの弱いUS(unconditioned stimulus:驚愕反応を反射的に引き起こす無条件刺激)を消去学習成立後の動物に与えると、再びCRが生じる現象である。renewalとは、音(CS)に対する条件付けが成立した動物に、条件付けした条件Aとは異なる条件Bで、CSに対する消去学習を行い、その後動物を条件Aに暴露させるとCRを生じる現象である。これらの現象から、消去学習後も恐怖記憶回路が残っており、消去学習は恐怖記憶回路を抑制する新たな神経回路が構築されたと考えられている。
 この消去学習には前頭前野が中心的な役割を担っており、いろいろな回路が考えられている。さらに海馬も消去学習に関わっている。音恐怖条件付けにおいて消去学習を行った後に、消去学習を行った条件Aから別の新しい条件Bで音に対する恐怖反応を調べてみると、強い恐怖反応が現れるrenewalが生じる。消去学習を行った状況Aでは当然恐怖反応は抑制されている。海馬は扁桃体ばかりでなく、前頭前野にも投射しており、前頭前野、扁桃体の活性化を抑制することで、消去学習を行った状況により、恐怖反応を抑制することで、消去学習を行った状況によって、恐怖反応を生じるかどうかを決定するゲートの役割をしていると考えられている。
 このようなことから、PTSDやパニック障害などの不安障害の患者では、海馬や前頭前野による恐怖記憶の消去学習過程や抑制制御機構が機能不全に陥っている可能性が示唆されている。しかし、PTSD治療において、消去学習を基にしたエクスポージャー療法が行われているが、恐怖記憶を抑制するこの方法では、ストレスなどによって恐怖記憶が再び復活してしまうことがある。これは、恐怖記憶の再固定化と消去学習の関係が関与している。再固定化と消去学習の過程は、両方とも恐怖記憶を想起した後に行われる。どちらの課程に進むのかは想起時間の長さ、記憶の強さ(トレーニング量)、記憶の古さなどの様々な要因により決定される。現在この再固定化と消去学習の両方の過程を抑制する分子の存在が知られており、この分子を脳内でコントロールすることにより、想起した恐怖記憶のみを選択的に減弱させるというPTSD治療法開発への展開が期待されている。
 いずれにしても、ヒトでの不安障害は記憶の過剰な固定化や再固定化、もしくは消去学習の異常によって引き起こされると考えられている。
-鈴木玲子・井ノ口馨著「恐怖記憶の形成・消去と海馬」分子精神医学4.2012より 引用-

2013年03月01日
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