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2013-11-10

58.プラセボ効果の吟味と精神療法の再評価について

プラセボ(偽薬)効果は、医師による薬物療法が薬の直接作用に加え、心理的な影響を及ぼしている可能性、ひいては暗黙のうちに精神療法課程を発動させているのではないかという幅広い検討に通じる。たとえば、同じ薬でも投与する医師が、社会的地位のある熟練した医師なのか、まだ経験の浅い研修医なのか、あるいは親身になって熱心に治療に取り組む医師なのか、あまり愛想がなく淡々と治療を進める医師なのか、高い精神療法的素養を持った医師なのか、そうした素養の全くない医師なのかなど、医師の個人差によって、効果発現に違いが出てくることが臨床に携わるものの間で、印象として知られている。 このような現象は、実際の臨床で薬物療法を行う場合、治療者の知らないところで薬の直接効果とは別の要素が付加されてくることを示唆している。この種の心理的側面について、正面から問題にする姿勢は今日の医学には乏しい。脳科学を信条とする時代にあって、プラセボの研究は正当な科学的治療から排除されている観がある。今日、プラセボが臨床の現場から姿を消した何よりの理由は、1990年代から医療に浸透し、2000年代に入り定着を見た「説明と同意-インフォームドコンセント」の原則に求められると思われる。実際、患者に説明することなしにプラセボを投与することは倫理的見地から大きな問題となる。もしも仮に正直に「偽薬を投与します」と患者に伝えるなら、プラセボ効果の可能性が最初から締め出されてしまい、プラセボ投与の意味がなくなってしまうことは明らかである。その一方で、開発された新薬の治験の分野では近年、プラセボを使用した二重盲検試験を必須とする指針が強く打ち出されるようになった。この指針は、薬の実際の効果を誰から見ても分かるようにするという客観性の要請に裏打ちされている。その意味では、この2つの現象は、曖昧な部分をなくし、客観的な根拠のもとに医療を進めるという透明性の原理に由来するという点では共通していると見ることもできる。
皮肉なことに、新薬の治験から、一定程度のプラセボ効果の存在を支持する多数の臨床知見が蓄積されている。新薬が製品として認可されるには、新薬がプラセボよりも勝る効果を出すことが必要条件となる。また、ある薬物療法に関する一定のエビデンス・ベースド・メディシン(EBM)を確立するには、薬理学的には効果のないプラセボとの比較対照試験が前提となる。そこで要請されるのは、薬の有効な作用についての客観的裏付けを確立することである。この厳密な方法は科学的にはきわめて理に叶ったものといえる。なぜなら、病気は単に自然な経過で改善することもある。医師-患者関係を含む治療的な環境だけで改善することもある。これら薬の関与しない効果を除外してはじめて、薬の効果について客観的裏付けがなされる。治験でプラセボは自然治癒の効果と、薬なしでの医療的環境の効果の双方を指し示す役割をあてがわれていると考えられる。しかし、治験を重ねる中で、プラセボに勝る効果を発揮するという条件をクリアすることが意外に困難なことが明らかになってきた。そのもっとも大きな理由は、プラセボ自体が予想以上に効果を発揮する場合が少なくないこととがあげられる。厳密な科学的方法論のもとに進められた治験は、精神療法の意義を裏付ける結果をもたらしているように見える。薬物療法について言うならば、この治療は精神療法を抜きにして語れない局面が明るみになってきた。
-加藤 敏「プラセボ効果と精神療法の再評価」精神神経学会教育講演より引用-

2013年11月10日
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