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2022-09-03

164.日本人の特性について-不安に関する意識調査から

2019年、セコム株式会社は「日本人の不安に関する意識調査」というアンケートの結果を発表した。これは20代以上の男女500人を対象にしたもので、「最近、何か不安を感じていることはありますか」という質問に対して、なんと7割以上の人が「感じている」と答えた。これは、若い人ほどその割合が高く、20~30代の女性では、その割合が9割にも上った。セコムという、人々の安心を守る会社がこうした調査を行うところに、まず面白さを感じるが、これは日本人のセキュリティー意識について、実に興味深いデータである。これほど不安が強いのは何らかの理由があるのだろうか。
シンシナティ大学のロバート・リーヒが行った調査では、アメリカでは、37%の人が毎日のように不安を感じているとのデータがある(これでも日本に比べるとかなり少ないが)。その人たちを対象に2週間、何が心配なのか等について、具体的に記録してもらった。すると、心配であったはずの事柄の85%について、現実的にはむしろ良いことが起きており、残り15%についても、その8割は予想していたよりも良い結果が起きたということが明らかになった。つまり、9割以上の心配事は、それほど心配する必要は無かったと言うことが分かった。
しかし、これはアメリカという土地でのデータであり、しかも2週間という限定的な期間の調査である。もし、日本で数十年(子孫を残すのに影響が出るほどの時間)規模の調査が出来れば、これらの不安が奏功する場面を拾って、データに反映できるかもしれない。少なくとも、現状を見れば日本には不安の高い人が多く生き残っているわけだから、すでに実験は終わっており、日本の社会そのものがその社会実験の結果であると見ることができる。
さて、日本ではなぜ、これほど強く不安を感じる人々が存在しているのか。
日本人の特性として、個人主義的な性質が強い集団よりも、集団主義的要素が強い集団が生き延びやすかったのは、天災の多さ(地震、津波、火山の噴火、頻発する水害など)という地理的要因が大いに影響しているのではないかと考えられる。幾多の災害からの復興は、助け合いながら、皆で力を合わせてやる以外に方法がない。こうした状況下では、個人の意思よりも集団の目的を最優先にする人材が重要視されることは自然なことである。逆に集団の協力行動を拒んだり、集団の了解事項を裏切ったりする人は、皆から非難と攻撃の対象になる。また、たとえ災害により非常に辛い状況に陥ったとしても、集団で力を合わせて困難を克服することにより、自分の存在価値を返って強く実感することができて、自らを癒やしていった人々も多かったのではないかと考える。
さらにもう一つ、集団主義の強い理由として、以下の事実がある。
統計上の事実として、日本では江戸時代中期以降から明治期に産業構造が変わるまでほとんど人口が増えていない。3000万人を越えたところで頭打ちとなってしまい、むしろ飢饉が起きると100万人近い人が短期間に命を落とすことがあった。30人に1人が死ぬということは、計算上、太平洋戦争と同じレベルの人的損害ということになる。当時日本にやってきた外国人の見聞録によれば、日本では耕作できるところは全て人の手が入っており、海外では効率が悪くて作らぬような段々畑も沢山見られたということである。これらのことから推察できることは、鎖国により交易(特に食料の輸入)を行っていなかった江戸時代、国土をギリギリまで食糧生産のために使っても、最大維持できる人口は3000万人超のレベルであり、ひとたび自然災害が起きてそのバランスが崩れると、すぐに100万人単位の命が失われるような限界寸前の状況だったということである。このような国土では、集団で食糧生産を維持していくより他に方法がなく、良し悪しに関わらず、協働して困難を乗り切る集団主義的戦略が最適であり、集団の考えに背くことは、社会全体の深刻なピンチを招くことになるという思考を、誰もが無意識に採用していたということである。これらの経緯を考えると、日本が文化的に、高い社会性を重視し、集団主義を優先させたことも、相応の理由があったということである。
-中野信子著「人は、なぜ他人を許せないのか?」より抜粋引用-

2022年09月03日
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