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2025-01-03

192.脳はスマホに適応するか?について、

 これまで、記憶力や集中力という知能はスマホのせいで低下していることを述べてきた。
また、現代のライフスタイルは座りっぱなしの時間が多く、睡眠時間が減っている。これは我々の頭が悪くなっているという意味だろうか。いや、昔よりも賢くなっているはずではないか。
欧米では、IQ(知能指数)の平均スコアがここ100年で30も上昇している。近代的なIQテストは20世紀初等に開発され、当時の平均スコアは現在と全く同じで100である。我々が賢くなるに連れて、テストも難しくなった。現在IQテストを受けて100を取る人は100年前のテストなら130で、人口の3%に相当する最も賢いグループに属していたことになる。一方、20世紀初頭に100を取っていた人は-当時はそれが平均的な知能とされていたが-現在のテストでは70しかとれず、精神遅滞の基準を満たすことになる。だが、100年前に生きていた人たちが我々よりも頭が悪かったということではない。今の我々と同じように、人生の実際的なことは対応できていた。我々のスコアが上がった原因としては、以下のことが考えられる。現代人の方が知能テストに出てくる抽象的、数学的な思考の訓練をずっと多く受けている。なにより学校に通う期間が長くなった。現代のスウェーデン人の半数は高校を卒業しているが、100年前はほとんどの人が7年間の国民学校を出ただけだった。それに現代の仕事はもっと複雑である。私自身の仕事を例に取ってみると、100年前、医師が使える薬は多くなかった。また、抗生物質も発見されていない時代だ。それが今は何千種類もの製剤が手に入り、医学知識も広範囲にわたり、すべてを把握することは誰にもできないくらいである。
<我々のIQは下がっている>
 より長く教育を受け、より難しい仕事をこなし、複雑さを増し続ける世界に我々は住んでいる。それに合わせて、我々は知的能力を発達させ、IQテストで試されるような思考を訓練してきた。世代ごとにIQが高まる現象は、ニュージーランドの大学教授ジェームス・フリンにちなんでフリン現象として知られる。だが、フリン効果はデジタル化だけによるものではない。IQは1920年代から10年単位でほぼ同程度に上昇しているが、当時はテレビもインターネットも無かった。ただ、フリンは90年代の終わり頃から気がかりな傾向に気づいた。北欧ではIQの上昇が頭打ちとなり、今では平均スコアが毎年少しずつ下がっている。とはいえ、それほど劇的なものではない。年に0.2程度の低下だが、北欧では1世代後には、6~7も下がることになる。そうなると、誤差範囲とはとても言えない。フリンはおそらく世界の他の地域でも同じことが起きるだろうと予測してる。フリンによれば、これは学校が昔より緩くなり、20~30年前ほど読書が推奨されなくなったせいだという。それ以外に考えられるのは、身体を動かす時間が減ったことだ。怒濤のように流れてくる全ての情報を処理することが難しくなった、とも考えられる。
<タクシー運転手の脳が変化した理由>
ロンドンでタクシーに乗ると、毎回驚いてしまう。運転手が地図もGPSもなしに目的地にたどり着くからだ。ロンドンの道路網は巨大なだけでなく、なんのロジックもシステムも無いような街造りである。ロンドンでタクシー運転手になるのは果敢な挑戦で、道路を2万本、場所を5万カ所記憶できなければいけない。必要な知識が余りに広範囲なため、(The Knowledge-知識)という名が付いているほどだ。多くの人が何年もかけて受験をするが、半数は不合格となる。
学習量が余りに多いため、なんと、画像で確認できるほどの変化を脳にもたらしていた。ザ・ナレッジのテスト勉強をしている志望者と一般的な同世代の人を比較したところ、学習を始める前には脳の違いは無かった。ところが後に再度検査してみると、テストに合格した人たちの脳は記憶中枢である海馬が成長して大きくなっていたのだ。特に海馬の後ろ側-後部(posterior)が成長していたが、そこは空間における自分の位置の把握を司どる部位である。同世代の一般人やテスト不合格者の脳では、海馬の変化は見られなかった。
このことは、学習により海馬が成長し、物理的に大きくなる。つまり脳は変化する-可塑性があることを具体的に示している。次は、運転手志望者がロンドンの道路を覚えることで海馬が生長する理由、それを解明する研究が始まっている。
脳はエネルギーを節約しようとするので、必要ないことには力を注がない。つまり使わないと知能の一部が失われる危険がある。スマホやパソコンに多くのことを任せるにつれ、それを操作する以外の知能が次第に失われるのではと怖くなる。もしかしたら、知能の容量を解放して、何か別の大事なことに使えるように準備しているかもしれない。しかし何もかも外部委託するわけにはいかない。目の前の情報を処理する為には、ある程度の知識が必要であるからだ。自動化や人工知能の普及により、消えてしまう職業は多い。人間に残される仕事は、恐らく集中力を必要とするものだ。皮肉なことに、集中力はデジタル社会で最も必要とされるものなのに、そのデシタル社会により奪われているのだ。
<我々は何を失いかけているのか>
人間にはすぐに気が散るという自然な衝動があり、スマホはまさにそこをハッキングした。
「今ではライオンではなくXに気を散らされるようになった。でもそれは単に、ヒトの起源の注意散漫さが戻っただけではないか。脳が進化した通りではないか」 ある講演会で、そう尋ねた男性がいた。私が「デジタル社会が人間を注意散漫にしている」と語ったときだ。これは非常に良い指摘だ。まさにその通りかもしれない。ただ問題は、その過程で本質的なモノを失っているかもしれないことだ。文化や科学技術の多くは、徹底的に集中する能力を持った人たちによりなされてきたものだ。相対性理論やDNA分子の発見、それにiphone-皮肉なことに、集中を乱すのにうってつけの道具-の開発には、尋常でない集中力が求められた。自分自身のことを考えても、スポーツや楽器、プログラミング、記事の執筆、料理-あなたに特技があるならそれがなんであれ、集中してきた覚えがあるだろう。「それでも、この新しいデジタルライフにもそのうち適応するのではないか」その男性は、私の答えに納得できずに食い下がった。確かに、文字や印刷技術、時計という数々の技術の発明は、我々の働き方やコミュニケーションの方法だけではなく、考え方にも影響を与えてきた。デジタルライフもそれと同じ可能性はあるが、だからといって必然的に良くなるとは限らない。
作家のニコラス・カーは印刷技術が大衆に著しい集中力を与えた様子を描写している。一冊の本を開けば、突如として他のヒトの思考に身を置くことができ、そのヒトが書き記した文章に集中することができる。カーは、インターネットは本とは真逆の存在であると考えている。インターネットは深い思索を拡散してくれない。表面をかすめて次から次へと進んでいくだけだ。目新しい情報とドーパミン放出を永遠に求め続けることになる。
アンデシュ・ハンセン「スマホ脳」より抜粋引用

2025年01月03日
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