197.電話恐怖症について、
「電話に出られないから、会社を辞めます」
ある企業の人事担当者から、新入社員の衝撃的な退職理由を聞いたのは、2015年頃だろうか。そのときは例外的な事例だと思ったが、その頃から「若い人が電話に出たがらない」とか、「研修の仕方に困っている」という人事担当者からの話を耳にするようになった。また、社員との個別面談でも、「電話が苦手で会社に行きたくない」「電話の信号音が鳴ると動悸がしてくる」という相談が寄せられるようになった。
電話が怖い?
社会人として必要とされるスキルとして長年重要視されてきたものだが、今、「電話恐怖症」の人が増えていることは確かである。その証拠に、書店のビジネス書コーナーには、いかにして電話に対応するかのマニュアル本が沢山並べられている。
しかしこの問題は、電話対応のテクニックを身につければ、簡単に片づけられるモノではないように思う。突き詰めて考えると、電話恐怖症の背景には、テクニックの有無ではなく、もっと本質的なコミュニケーションの問題が隠れていると考えられる。
コミュニケーションの問題に向き合って見ると、基本は自己との対話である。自分はどうありたいのか、自分はどうしたいのかを自分で把握し、自己としっかり向き合うことからコミュニケーションが始まる。その基本のコミュニケーションすら苦手な人が、姿の見えない相手と話す事が怖いのは当然のことである。
電話恐怖症チェックリスト:あなたは電話恐怖症でしょうか。チェックしてみてください。
1.電話の着信音が鳴ると緊張する
2.自宅の固定電話が鳴ったときは居留守を使う
3.非通知の電話には出ない
4.お店の予約にはウエブに限る
5.友人に電話する前には、必ずLINEなどで確認する
6.電話の前には話し始めのセリフを考える
7.留守番電話にメッセージを入れられない
8.電話の「間」が耐えられない
以上8項目のうち、4項目以上当てはまると、すでに電話恐怖症か、あるいは電話恐怖症になる可能性があるといえる。
我々の立場から言えば、電話恐怖症とは社交不安障害の一つと考えられるのだが、最近、電話恐怖症の人が増えてきた、というと同意されることが多くなった。2019~2020年度卒の社会人を対象にしたマイナビの調査では、友人と連絡するときに電話を使う人はわずか1%しかいないという驚きの結果が出ている。ちょうどミレニアム世代(1980~1990年代生まれ)に当たる彼らの連絡手段は、LINE、メッセンジャー、ショートメッセージ、ダイレクトメッセージなど。つまり文字ツールが主体である。以下、幾つかのケースを紹介する。
ある企業との打ち合わせをしている際に遭遇したケースである。新入社員研修の依頼があり、その責任者とメールで何度かやりとりしたあと、詳細を詰める為に、現場担当者とオンラインで打ち合わせをした。担当者は新入社員で、新人の立場から次年度の研修をサポートするということであった。約束の時間、その方がズームでつないできたが、背景を見て驚いた。
明らかに給湯室であった。私は思わず「そこでお話しできますか。一度切りますので、デスクに戻られてから改めてつなぎますか」と聞いた。しかしその方は「いえ、ここで大丈夫です」とかたくなである。やむなくそのままミーティングを続けたが、おそらくこの方はデスクに戻って周囲の人に打ち合わせの声を聞かれるのに抵抗があったのではないか。
また別の話であるが、以前から新人研修で必ず聞く質問がある。それは「もしランチセットで食後にコーヒーを頼んだのに、紅茶が来た時にあなたはどうしますか」という質問である。2015年以前では「店員さんに言って注文通りコーヒーに変えてもらう」という人が7~8割であった。しかし最近では、「替えてもらう」のは5割弱。つまり半数以上の人は「黙ってそのまま紅茶を飲む」ということ。コーヒーが飲みたかったのに紅茶が出てきたときに、なぜ「替えてください」という一言が言えなかったのか。理由を聞くと、以前は「面倒くさい」とか、「まあ、いいや」という答えが多かったが、最近は「なんと言えば良いか分からないから」「どう思われるか心配」「言うタイミングがつかめない」などの回答が多く占めるようになった。
給湯室からズームにつないできた社員のエピソードには、続きがある。給湯室に人が来ないか気にしている様子であったので、「落ち着いてお話ができる会議室かどこかに移動されたらどうですか?私のほうは時間は大丈夫ですから」と提案すると、即答で「会議室の取り方が分からないので」という返事であった。私はその会社を訪問したことが有り、一人でも使用できる会議室が十分にあって、会議室の取り方など、隣に座っている人に聞けば、すぐに教えてもらえるはずである。でも、「会議室の取り方を教えてください」という簡単な一言がかけられない。苦肉の策で探したのが給湯室だったというわけだ。
会議室の取り方を聞くというこんな簡単なことでも、人に聞いたり頼んだりすることができない。これは何もこの社員に限ったことではない。今の若い世代に比較的多い傾向-というか、むしろよくあるケースであると理解しておく必要がある。
似たような例で、在宅勤務中にもかかわらず、「電話に出ることが怖くて退職した」というケースもあった。このケースの場合、コロナ禍のとき、上司からかかってきた電話にすぐに出られず、「何してたんだよ。業務中なのに出ないってどういうことだよ」と叱責されたことがきっかけであった。またそれとは別に2015年頃から顕著になってきた傾向には、自分の意思をしっかり伝えられない人が増えてきたということである。
電話恐怖症の問題は日本だけではない。イギリスの大手電話対応サービス会社Face for Businessが2019年に公開した記事によれば、オフィス勤務の従業員のうち、62%が、電話に出る前に不安を感じると答えている。不安の内容は「質問にどう対応すれば良いかわからない」33%、「電話でフリーズする事への不安」15%、「相手が否定的に考えるかもしれない」9%、である。この調査ではミレニアム世代(1981~1996年生まれ)が最も電話不安が強く、76%が電話の着信音を聞いたときに不安になると答えている。また、2023年にBBC Science Focusで公開された記事によると、22~37歳を対象にしたアメリカでの調査では、約8割が電話で話す事に不安を感じているというデータがある。興味深い事にZ世代(1990~2010代頃の生まれ)になると、電話を無視する傾向があるという。そのため、この世代を「ミュート世代」と呼ぶこともあるようだ。
-大野萌子著「電話恐怖症」より引用した-