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2026-10-01

213.ストーキングの問題についてー片思いと加害の境界をさぐる

 

213、ストーキングの問題についてー片思いと加害の境界をさぐる、2026.10

 最近、テレビニュースなどで、ストーキングによる犯罪、しかも家族を巻き込むような凶悪な殺人事件の報道がなされている。元交際していた相手や、元夫婦であった人間の行動心理について、少し考えてみる.

  まずは片思いしている相手との親密関係の構築は、恋愛において重要なテーマであるが、正解となる方法がある訳ではなく、とりわけ恋愛が成就したことのない人にとって、大きな課題として認識される。彼らには何か問題があるのではないか、片思いの相手と関係を近いものにするにはどうすればよいか、という主題が1990年代末頃からネットを中心に盛んに論じられるようになり、恋愛関係から疎外されていることを意味する「非モテ」「喪女」(モジョ)~(もてない女の意味)という言葉も生み出された。

 こうした議論のうち、交際経験の乏しい異性愛男性に特有のものとして、そのアプローチ行為が加害になるという言説がある。もてない男を自認する本田(「電波男」2005)は、男性には「イケメン」と「キモメン」が存在するとして、前者の告白は女性に肯定的に受け入れられるのに対して、後者は女性から「きもっ、ストーカー!」と受け取られると述懐している。これらの話はネットを中心に一定の強度を持ち、「イケメンだから許される」、「負の性欲」(twitterに現れたネットスラング:2019)などのネットミームが定期的に拡散されてきた。「自分はアプローチしているだけなのに女性に加害者として見なされる」という不安や被害者意識を取り込みながら、少なからず異性愛男性からの共感が寄せられている。類似の現象はアメリカでも起きており、女性嫌悪的(ミソジニー)な言説が集積するネットコミュニティー「マノスフィア(manosphere)」には、どうせ加害者とみなされるのならば、自ら女性との関わりを絶つと宣言するMGTOW(Men going their own way)という集団も存在する(男性復権運動のサラ・コナーたち、現代思想:2021)。

 これらの主張に共通するのは、一部の男性が本質的に加害性を内在させているという信念であるが、それを裏付ける確たる研究はない。ただ、アプローチが加害と読み取られる異性愛男性の不安は、勝手な思い込みとも言い切れない。実際に「非モテ」男性から過剰に執着されて恐怖を感じたという女性が少なくないからだ。関係構築のための接近行動になんらかの問題性が生じていることが考えられる。ここでは、主としてストーカー・ストーキングの問題を取り上げてみる。ストーキングとは、相手への過剰な執着を理由として同意なく接近する行動であり、接近行動が行き過ぎた結果であるといえる。

 そもそもストーキングとは、1980年代に女優が立て続けに殺害された事件を通してアメリカで生まれた概念である。日本で知られるようになったのは、1990年代後半であり、2000年にストーカー規制法が成立している。警視庁によると、2020年度におけるストーカー事案の相談件数は合計20189件であり(うち加害者が男性だった場合は80.7%)DVによる暴行や傷害、脅迫また殺人といった事件につながる深刻なケースも増えている。

 ストーカー研究では予防や治療的介入の観点から、リスクアセスメントや加害者の分類という精神医学的・心理学的研究が中心的になされている。分類の方法として、1、精神的な特徴による分類、2、被害者との関係性による分類、3、行動類型による分類、4、動機による分類などがあげられ、英語圏の研究ではこれらを取り混ぜたミューレン(ミューレン.P.E. バデ.M &バーゼル.R:ストーカーの心理、サイエンス社2003)の分類方法が参照されることが多い。その中で一度も交際経験を経ていない知人・友人・初対面の関係性におけるストーカーは、「親しくなりたい型」と「相手にされない求愛型」と名付けられている。ミューレンらは、両者とも孤独を抱えた独身者であると推測しており、特に前者は男性が当てはまることが多く、その多くが統合失調症や人格障害を有しており、中でもエロトマニアの症状が表れるという。エロトマニアとは、相手に愛されていると信じ、その信念を核とした妄想世界を生きている状況を指し、それゆえに「親しくなりたい型」は、相手が否定的な反応を見せていてもお構いなしにアプローチし、自らの意思を押し通す傾向にあるという。「しつこく追い回すことは、相手のつれないそぶりを、実際は誘っている、少なくとも拒絶はしていないと曲解する資質が必要である。この資質は精神障害のなせる業でありえる」と結論づけている。

 一方、「「相手にされない求愛型」は、「親しくなりたい型」に比べて精神疾患の可能性は低いものの、知的に成熟しておらず社交ルールを守れない不器用者とされる。自分には自分の気を惹いた相手と付き合う権利があると勝手に感じ、告白やアプローチが実らないことを理解できない、理解しようとしないという。

 以上のように、精神医学的には、常識的判断の不能な(了解不能な)「ストーカー」という人格があらかじめ措定されており、その個人の病的な性質によってなされる逸脱行為としてストーキングが説明される傾向にある。このような本質主義的な説明は、ストーキングが発生する機序やそこに至るまでの過程が全く検討されていないという点について問題を含んでいる。一方ストーキングという行為そのものや、被害者との相互作用に着目する社会学的な研究領域がある。エマートンら(エマートン.R.M. フェリス.K.O.:ストーカー行為の自然史:世界思想社2006)はストーキングを社会的過程として捉えており、「ストーキングは突如として現れる物ではなく、時とともに、それと認識できるような段階や変化を経ながら展開していくものと位置づけ、追いかけられる側のインタビュー調査を行い、<ストーカー行為の自然史モデル>を提示した。自然史モデルとは、接近行動がストーキングと定義づけられる過程に焦点が当てられる。はじめの頃、見つめる、情報を集める、デートに誘う、メールや手紙を送る、プレゼントを送るといった接近行動は勘違いや友情の延長戦、求愛行動として受け手に判断される。その行為は本当の愛を根気強く求める行為と何ら変わらず、その結果両者が交際関係に発展する場合もある。一方、その行為が一定期間にわたって繰り返されたときや、交際の申し込みなどいかなる関係についての提案も示されないとき、提案を拒絶したにもかかわらずそれが無視され、接近行動が継続されたときに、追われる側は不安や恐怖を抱き始める。そして、最終的に嫉妬から来る激情や脅迫が示されたときに、ストーキングだと認識される。

 エマートンらの研究の重要な点は、ストーキングが当時者間の相互作用と被害者の認識により定義される社会構築的なものであることを明らかにした点が特徴である。情熱と執着、根気と強迫、そして恋愛とストーキングを隔てる境界は曖昧であり、ある文脈では適切なアプローチと見なされる行動が、別の文脈では侵害的とみなされるという事態が起こり得る。ただし、ストーキングと把握される背景には、接近行動が繰り返され、ときに激化していくメカニズムがあることを見逃してはならない。

 このような発展段階において、特に知人からアプローチされる側が恐怖を抱くような節目となるのは、拒絶のタイミングである。求愛の初期段階におこる望まれない接近行動についてアンケート調査した研究(Sinclair.H.C.&Frieze.I.H.:Sex Roles2005)では、接近行動が不快や恐怖をもたらす要因として、接近者が拒絶されているにもかかわらずそれに気づかない「否定性の盲目(Negativeness blindness)の問題に注目している。

 たとえば、追いかけられる側が発する「友人になりたいだけ」「今すぐには付き合えない」という消極的な拒絶に対し、接近者は「友達以上の関係になるチャンスである」「後でなら可能」と読み替え、明確な拒絶の場合も、「相手は形だけの抵抗を示している」「何らかの演技をしている」など、相手の意思を軽視する傾向があるという。特に男性は自分が追いかけている女性が好意的であるはずだと考える傾向が強く、否定的なシグナルを無視するか、潜在的に肯定的なメッセージとして解釈しやすいという知見が示されている。

こうして、相互の関係性の定義が相容れないとき、ストーキングという解釈が成り立つのである。

西井開(片思いと加害の境界を探る)―恋愛社会学:多様化する親密な関係に接近するーより、抜粋引用

 

   

2026年10月01日
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