211.日本漁業の不都合な真実、その2
近年、先進諸国では人口の増加が穏やかになり、日本や韓国のように減少に転じる国も出始めた。世界大戦や疫病の流行など特殊な時期を除けば、先進国の人口が減少する局面に入ることは資本主義経済が発展した産業革命以後初めてのことである。しかし資本主義経済はこのような状況を想定してなかった。人口が減少すると労働力が不足して、生産量が縮小し、同時に国内の需要すなわち市場が縮んで、商品が売れなくなる。その結果、企業活動は縮小し、税収が減少し、財政規模も縮小する。技術革新や設備投資などその他の要因はあるものの、人口減少は直接的に経済成長にストップをかける。経済規模つまり市場が成長しないと、その国や企業に投資をする人がいなくなる。投資は成長がもたらす将来の利益に対する期待から行われる物だから、株価は下がり、投資家は海外に資金を移動させる。優秀な人材はより高い賃金を求めて海外に流出する。経済成長がもたらした豊かさは失われ、現在のシステムは持続できず、破綻する可能性が高い。このような状況は既に始まりつつある。 日本は他国に先駆けて人口減少が始まり、これは歴史的な事例であり世界が注目している。この危機を回避するために政府は「少子化対策」を強く打ち出している。しかし、今の若者のライフスタイルを見ればこの状況を回復させることは非常に難しいことがすぐに分かる。
そこで、シンプルに力強い解決策に目が行きがちになる。グローバリゼーションである。
縮小する国内市場に頼らず、拡張する海外市場を主戦場とすれば、人口減少を市場縮小から切り離せる。また海外から移民を受け入れれば、人口減少による労働力不足から切り離せる。成熟した先進諸国が経済成長を維持しようとすれば、グローバリゼーションを全面的に受け入れ、経済成長の基盤を国外に求めるしか無い。EUもアメリカもとっくにこうした経済システムに移行している。第2次トランプ政権は、これまでアメリカに大きな繁栄をもたらしたグローバリゼーションに逆行し、孤立主義を強めている。しかしそれはどだい無理な話で、既にアメリカ経済に大きな影響が出初めている。このグローバリゼーションを受け入れる必要に迫られるのは、日本の漁業も例外では無い。「技能実習生」などの名目で労働力を海外に依存する傾向が強まっている。伝統的な漁村で多くの外国人が働いている光景は、何とも不思議な気持ちがする。
現在、政府が公表している食料自給率はカロリーベースで37~38%程度と、先進国の中では最低レベルである。しかも、日本の農業は肥料や野菜の種子の9割を輸入に頼っているため、コレを加味すると、日本の実質的な食糧自給率は10%程度にまで落ち込む。特に日本の場合、食料品ばかりか、国内で食糧を作る原材料、つまり肥料や野菜の種子の9割を海外から輸入している。特に肥料はその多くを中国やロシアから輸入している。いまや、中国もロシアも日本を友好国と見なしていない。もしも台湾有事が起きたときには、中国やロシアとの貿易はほとんどゼロになるだろう。そうなれば途端に肥料が手に入らなくなり、日本の農業生産は壊滅的な打撃を受ける。当然我々の食糧は全く不足する。最近起きた米不足どころの騒ぎでは無い。そうなると、何を食べて最低限のカロリーを得るかというと、農水省の推測では、イモを主食にすることになる。日本がまるで第2次大戦中のような食糧不足になると予想している。だから、日本にとって要らない戦争介入など行わぬ方が、賢明ではないだろうか。
話を漁業に戻すと、魚に代表される野生の水産生物は、同じ動物性蛋白源である牛や豚、鶏などの家畜とは大きく異なる存在である。自然の環境の中で生まれ、人が関与せず成長し、やがて成熟すると自然に繁殖し、環境さえ良ければ増殖する。このように人が餌を与えたり世話をしなくても、自然の営みの中で更新され続ける水産生物のような天然資源を「自立更新性資源」と呼ぶ。自然林の木々や、毎年そこで生み出される山菜、キノコなども同じ性質を持つ。
このような性質を持つ水産資源は、人にとってはとても有り難い存在である。自然界の中で繁殖する量や速度を考えながら漁業を制御すること、つまり、様々な資源管理規制を設けることで、この自立更新性を最大限利用することが可能となる。その際に良く用いられるのは、MSY(Maximum Sustainable Yield):最大持続生産量という理論である。これは、ある有限な環境の中に存在している生物の群集(資源)は、その資源サイズを最大化しようとして増殖するが、環境が有限なためにいつか必ず増殖は止まって資源量が上限で安定する。その上限となる資源サイズを環境容量という。増殖する速度(単位時間当たりの増殖量)は資源量が環境容量の1/2になる時点で最大となる。つまり、資源量を環境容量の1/2に維持し、その時の増殖分だけ漁獲することで、資源を維持しながら最大の生産量を得られる。これなら、資源が増殖する過程には、基本的に人が介入する必要は無い。魚は減った分だけまた増える。高い餌を長期間にわたり与え続けなければならぬ畜産業と比べて、漁業は有り難い食糧生産業といえる。
健康維持に不可欠な必須アミノ酸をバランスよく含む「質の高い蛋白質」を、永遠に「持続可能」な形で、しかも低コストで生産することができる。さらに漁業は畜産業とは大きく異なり、本質的に環境調和的である。短期的な「儲け」があるか、「経済成長」できるか、という資本主義経済の視点からは、生産性が低くマイナス評価されがちであるが、環境持続性の観点では非常に優秀で未来的な産業といえる。
1950年に2000万トンである世界の漁獲量は、1980年代までは右肩上がりに増加し、1億トン近くまで達した。しかし1990年以降頭打ちである。これは海を利用したバイオマスを限界まで利用した食糧供給の拡大はできないということであろうか。実はそうではない。現在の漁獲量の頭打ちは「現時点で経済価値を有する有用資源」に限った現象である。そもそも未利用資源は漁獲すらされず、資源量も分からない。例えば、南氷洋のナンキョクオキアミ、世界中の深海に生息するハダカイワシ類などの利用技術が開発され、その経済性が十分であれば、総漁獲量が大きく拡大するはずである。例えて言えば、中東で安く原油が産生される間は北米のシェールガス開発が進まないのと同様に、現時点で経済的に儲からない水産資源は利用されないのだ。
人類の能力では、海洋バイオマスを取り尽くすことなど到底できない。ただし、ある地域で特定の資源を過剰に漁獲した結果、その資源と漁業が崩壊してしまうケースはある。漁場が狭く、閉鎖的で、資源に移動性が乏しい場合、過剰な漁獲により自立更新性が失われてしまうのである。これは一般的に「乱獲」といわれる現象である。多くの場合、価値が高い魚だけを集中的に狙う強欲な操業、つまり漁業をむやみに近代化することで、こうした現象が起きる。「乱獲」とは経済的な現象である。しかし、漁業は乱獲を引き起こすことはあっても、種の絶滅させるまで暴走することはない。それを防ぐセーフガード機能を内部に持っているからであり、採算が合わない水準まで資源が減少すると、操業は切り上げられ、誰もその資源を漁獲しなくなる。コストが高い漁業ほど早く見切られるのだ。
種の絶滅を引き起こす要因は、漁業では無くむしろ環境の変化である。
-佐野雅昭著「日本漁業の不都合な真実」より、抜粋、引用した-
2026年08月01日
