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2025-11-02

202.自閉症スペクトラム症と愛着障害の相互関係について、

愛着障害の原因は虐待が最も多いが、もう一つの典型は発達障害、特に自閉症スペクトラム症(ASD)である。ASDは他者との情緒的・相互的交流が育ちにくい障害である。そのため、親との愛着関係が形成されにくく、愛着障害を生じやすい。筆者は医学生に対する授業で、次のような話をする。
「もし皆さんがロボットしかいない世界に人間の赤ん坊として生まれたとする。ロボットがミルクを与えてくれて、おしめを替えてくれる。しかし、抱きしめてくれたりはしない。育ててくれるけれど、愛してはもらえない。さあ、あなたはどんな子どもに育つと思いますか?あなたが何かに怯えたり、不安になっても、抱きしめてくれる人、温かく包んでくれる人はいない。普通の子どもは、不安になると泣いたりして、それを親に抱きしめてもらったりすることの繰り返しによって、徐々に不安に耐えられる様になっていく。しかし、ロボットの世界に生まれたあなたは、赤ん坊の頃からただ一人で不安に耐えるしかない。赤ん坊がたった一人で不安に耐えられるはずはない。おそらくパニックになり、泣いたり暴れたりするでしょう。結果的に、精神的に健康な子供には育たず、きわめて情緒不安定な子供になる。ASDの子供は不安定になっても、母親に抱きついて甘えて、その不安を解消してもらうという術を知らない。そのため、ASDの子供は不安になった時に、パニックになる。泣いたりわめいたり、暴れたり、自分の頭を叩いたり、手を噛んだりする。これがASDのパニックです。ASDの子どもがいかに孤独で、不安と混乱に満ちた世界に生きているのか、想像してください」
 ASDの子どもの愛着障害について、このような説明をしている。
 精神科外来を訪れる患者を診ていると、真面目で優しい人であるが、安心感や自己肯定感が乏しいと感じる人が多い。発症後にそうなったのであれば無理はないが、よく話を聞くと子どもの頃からそういうことが多い人であるという。優しくていい人なのだが、「自分は生きていて良い」という基本的な安心感が乏しいと感じられる。
親に甘えたり頼ったりできず、誰かに自分を委ねることができない。子どもの頃から自分なんて死ねばよい」とずっと思っていました、と教えてくれる人もいる。逆境体験のある人も一部にはいるが、特にそういった体験のない人が多く、児童期の頃から、安心感が徐々に薄くなり、余計に「いい人」になっている。叱られたりした時に、「素の自分は愛されていないのではないか」と誤解したことがきっかけとなっている人もいるが、元々生真面目であるが、気がつくと「真面目を辞めたら見捨てられる」と思うようになった人もいる。
 子どもは本来、基本的安心感や自己肯定感を親との愛情関係の中で育む。この感覚が乏しいのであれば、逆境体験が無くても、広い意味での愛着の障害と捉えて良いのではないかと考えている。
愛着に問題が生じる要因としては、まず第1は虐待などの親(養育者)側の問題がある。第2は、発達障害などの子どもの側に問題がある。しかし、この2つに問題が無ければ親子関係は上手くいく、というわけではない。我々大人同士の人間関係でも、友人だったのに、些細な誤解などを契機にボタンの掛け違いが起きて、距離が広がっていき、気がつくと長年の絶交状態になっていることは、しばしば起こることである。不適切な養育や発達障害がなくても、親子関係にボタンの掛け違いが生じることはありえる。それが長期化すれば、成人同士の友人関係とは異なり、子どもの成長に強く悪い影響を与えるのも当然であろう。これは筆者が考える、愛着に問題が生じる第3の問題である。
この広義を含めた愛着障害を見据えたうえで治療を行わないと、薬物療法や通常の精神療法だけでは改善が不十分であり、回復が途中で止まってしまう様な経過になる人が多いと感じる。
そして、自己肯定感が不十分で、治療が途中で停滞したような状態は、今の日本の精神科患者の中に、かなり多く存在しているのではないだろうか。
 以上述べてきたことを総合すると、精神疾患患者を診療する際には、表面的な精神症状の下に愛着の問題を抱えていないかどうか注意する必要があり、さらに愛着の問題の下に発達の問題を抱えていないかということに注意する必要がある。つまり精神疾患はそのような層構造で理解する必要があると筆者は考えている。
愛着の問題の層と、発達の問題の層の厚みは事例により様々であり、ほとんどない人も多い。
初診の時点では、発達の問題や愛着の問題はなさそうに見える。そして精神疾患だけが存在するように見える患者が大半であろう。しかし、生育歴や本人が自分をどう思って生きてきたかを尋ねていくうちに、若干の発達の問題や愛着の問題が見えてくることも少なくない。愛着の問題がある場合には、その原因として生来の育てにくさ、すなわち発達の問題が隠れていることがある。逆に、発達障害のある場合には、愛着の問題は必ずあると考えて良い。ASDだとはっきりと診断されるような人の場合、発達障害と愛着障害が複雑に絡み合い、両者の境界は不明瞭になる。
 このように、当初は下の2層が無い人だと思っていても、徐々にその存在が見えてくる人も少なくない。そしてその場合、上層の精神疾患だけを治療しても経過は思わしくない。他方、下の2層にアプローチを十分に行うと、上層の精神疾患はいつの間にか軽快していることが多い。その意味で、上層のアプローチよりも、下層へのアプローチの方が重要だと感じる。
 病気になりかけたときに、発症に対抗する力や発症後の回復力は「レジリエンス」と呼ばれているが、基本的安心感や自己肯定感はレジリエンスに直結すると考えられる。疾患の治療は重要であるが、弱いレジリエンスを補修するアプローチも重要であると考える。
-村上伸治著「発達障害も愛着障害もこじらせない」より引用-

2025年11月02日
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