toggle
2024-01-01

180.近未来の日本の人口-ソロ社会(独身者社会)について、

 11年後の未来、日本はどうなっていると思いますか。
今日は2024年1月1日。11年後というと、2035年であり、そのときの話をします。
 国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2035年には15歳以上の未婚率は男35.1%、女24.6%(生涯未婚率ではなく、15歳以上の全人口の未婚者率)となり、有配偶率は男55.7%、女49.3%と、女性の有配偶率が初めて50%を切る。離別死別による独身者も男9.2%だが、女は26.1%まで達する。そして、15歳以上の人口に占める独身者(未婚者+離別死別者)率は、男女合わせてほぼ48%に達する。ほんの11年後、人口の半分が独身という国に日本はなる。日本のソロ社会化は不可避で、確実にやってくる。
独身者というと、結婚して家庭を持つまでの仮の姿と考えている人が多い。確かに、高度経済成長期の日本は95%が結婚した、いわば「皆婚社会」であった。独身とはマイノリティであるという意識があるのは当然だろう。しかし、未婚化・非婚化に加え、離婚率の上昇や配偶者の死別による高齢単身者の増加など、これら全てが日本のソロ社会に向けて進行している。高齢化や少子化ばかりが取り沙汰されているが、このソロ社会こそ日本が世界に先駆けて突きつけられた課題でもある。世帯別に見ても、今や「単身世帯」が最も多い。かつて標準世帯と呼ばれた「夫婦と子」からなる世帯は、2010年には単身世帯に抜かれており、その構成比は3割を切っている。2035年には、単身世帯が4割弱を占め、夫婦と子世帯は23%程度に縮小すると推計されている。また「夫婦のみ世帯」の増加にも注目すべきである。これは、一つには子を持たない選択をする夫婦の増加。もう一つは、子が独立した後、高齢夫婦だけが暮らす世帯の増加である。そして、その高齢夫婦世帯がやがて高齢単身世帯へと繋がっているのだ。
日本の11年後とは、独身者が人口の50%を占め、一人暮らしが4割となる社会である。同じ屋根の下に、親子が「群」となって暮らす家族の姿は、もはや風前の灯火となりつつある。
 これはなにも日本だけの話ではない。先進諸国では世界的な傾向である。そして何より社会そのものが変わりつつある。「社会というものはない。あるのは、男と女という個人と家族だけだ」こう述べたのは、鉄の女といわれたイギリス元首相サッチャーであり、今から37年前の1987年に発した言葉である。37年前にはまだ「家族」は重要な共同体として残っていたが、今や家族という存在すら危うくなりつつある。
 社会の個人化と家族を含む従来の共同体の崩壊については、多くの社会学者が論説を展開している。「リスク社会」や「個人化する社会」を提唱したドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、「昔、家族は資本主義社会の心の寄りどころあった。だが、個人化によって家族はリスクの場に変わりつつある」と分析した。ベックによれば、従来の伝統的集合体の概念である家族とは、「ゾンビ・カテゴリー(死に体カテゴリー)の好例である」と表現し、人間にとって家族とはもはや必然的共同体ではなく、選択的親密性であると述べている。同じく社会学者のジグムント・バウマンも、同様に「個人に選択の自由は許されても、個人化を逃れ、個人化ゲームに参加しない自由は許されない」と述べている。

 変貌したのは「家族」だけではなく「会社」というコミュニティでも見られる。一生同じ会社に留まるという働き方から、自由に転職し、キャリアアップするという考え方が増えてきた。企業にいながら副業も認める流れも出てきた。それらは個人としての活躍の場と自由度を拡大している。ノマド的な働き方もその一つである。大規模な設備や資金を持たなくても事業をスタートをすることができるようになり、「Uber」や「Airbnb」などシェアリングエコノミー型サービスが続々と誕生している。消費の世界でも個人化は顕著である。大衆という「群」が、モノを所有することに価値を見出した時代はとうに過ぎ去った。人々は個人としての体験を価値化し、それを個人的集団とも呼べる、身近で小さなコミュニティの中で共有することにより、価値を再確認するようになった。更に、現在は消費の目的はより個人的な内なる精神的価値の充足の方向に向かっている。
 こうした世界的な個人化への流れは、当然、日本においても不可逆的に進行している。しかし、どうしても日本では、多くの人々のマインドの中に、高度経済成長期や昭和の古き良き家族、結婚という従来型コミュニティへの郷愁が根強く残っている。未婚を能動的に選択した独身者や子どもを産まぬ選択をした夫婦の中には、従来の家族をつくれない自分自身に後ろめたさを感じることが多い。それはこのマインドによるものである。個人化が宿命的な流れであると同様、未婚化・非婚化の波は止められないし、それによる少子化も進むだろう。結婚があらゆる人たちの人生の必然だった時代は社会的に終わりつつある。未婚者・独身者だけの問題ではない。結婚すれば、誰しもが子を産み育て、家族となって暮らす、そんなレールの上に乗るとは限らない。結婚したら全てがハッピーエンドになるわけではなく、離別、死別など、いつでも我々はソロに戻るリスクがある。生涯未婚者だけが孤独なのではない。むしろ、物理的に一人でいる状態よりも、心理的に孤立してしまうことの方が問題なのだ。繰り返すが、日本は高齢社会と同時に、世界に先駆けてソロ社会になる。まず、この事実を正確に理解し、目をそらさない姿勢が重要である。それでは、ソロ社会に向けて、個々人が身につけるべき意識や力とは何か。その問いは、「自由とは何か」「自立とは何か」「自分とは何か」を問うこととと同義である。
 勘違いしないで頂きたいのは、ソロ社会やソロで生きるということは、個々人が勝手に生き、他者との関わりを遮断する社会ではない。それはむしろ、従来の家族・地域・会社という旧型コミュニティとは別の、家族的・地域的・会社的な新たなコミュニティを生み出し、関係性を構築しながら相互自立していく社会である。ソロ社会の未来について理解を深め、未婚とか既婚とか、若者とか大人とか、男とか女とか、今まで自分に冠していたあらゆるレッテルや属性を一旦取り払って、「自分」と向き合う必要がある。
   -荒川和久「超ソロ社会」独身大国・日本の衝撃-より引用した

2024年01月01日
関連記事