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2025-12-02

203.行動遺伝学について、

まずは行動遺伝学とはどういう学問なのか。
これは読んで字のごとく、行動に及ぼす遺伝の影響を明らかにする学問である。ここでは、人の行動(特に知能や学力・パーソナリティー・精神病理・反社会性など、人間の社会生活に関わる心の働きの現れとしての行動)の個人差に、遺伝がどの程度、どのように関わっているかを、科学的な方法を用いて解き明かそうとする人間行動遺伝学に基づいて、話を広げていく。ここで、「行動」とは心の働きが生み出すあらゆる側面をさしている。行動遺伝学の科学的な方法として最も良く用いられている双生児研究では、双子のライフヒストリーを聞くと、遺伝子がまったく同じ1卵性双生児の兄弟の人生経験が、しばしばよく類似していることに驚かされる。
  一卵性双生児の兄弟のこのような類似性は、遺伝子がただ顔や形だけでなく、物事に対する関心や好きなことの方向性、発揮される能力、他人との関係の作り方など、心の動きの部分にまで、何らかの形で影響を与えていることを教えてくれる。こうした双子の実例から垣間見られる遺伝の影響を、より精緻な心理学の方法論と遺伝学の理論により、明らかにしようとするのが行動遺伝学である。
このように、双子の類似性を通して遺伝の影響を明らかにしようとすると、遺伝の影響が現れるきっかけとなる環境の影響や、遺伝によっては説明できない環境の影響まで、同時に見えてくる。これが行動遺伝学の奥深いところである。行動遺伝学はその名が示すように、単に「遺伝」だけに関心があるわけではなく、実は人間の行動に及ぼす遺伝と環境の両方の関わりを明らかにする学問でもある。
さて、子育てのマニュアル本の多くは、親がこうすれば、子はこう育つ、成績優秀な子どもの親はこんな言葉がけをしていたというような、親の振る舞い方が、子どもの能力の原因であるように書かれているものが圧倒的に多い様に思われる。また、子どもがいわゆる「不良」とよばれるような問題行動を起こすようになると、その第1の責任は親であるという考え方もまかり通っている。確かに親の子育てが子どもを決める、親が子どもを作り上げるという考え方を全面否定するつもりはない。子育ての仕方、家庭教育のあり方は子どもに大きな影響を与える。しかしここで述べることは、子どもの成長に大きな影響を与えるもう一つの要因、「遺伝」に着目し、行動遺伝学の第1原則である「いかなる能力、パーソナリティー、行動、も遺伝の影響を受けている」という科学的事実に従って、子育てについても考えてみる。
  一卵性双生児のライフヒストリーが教えてくれるように、行動遺伝学的視点に立つと、ヒトはどんなときでも、環境のいいなりに生きる存在ではなく、遺伝の影響を受けながら環境に対して能動的に自分自身をつくりあげている存在であることが分かる。だからこそ子育てをする親にとっても、子どもが内面に秘めた遺伝の影響を考えることが必要になる。
ここで「遺伝の影響を受けている」と言ったことに十分に注意して欲しい。「遺伝によって決まっている」という意味ではない。この違いは重要である。
 世の中ではほとんど決まり文句として「遺伝により決まる」という言い方をする。そして、「遺伝により決まる」といった途端に、それは環境ではどうしようもない、一生変わらないと考えてしまいがちである。そしてそう言ってしまうと、子育ても教育も意味が無いことになってしまうので、「遺伝の影響は全くない」とか、「生まれつきなんてほとんど無い」と主張されてしまう。
遺伝に対するこの先入観が、どれほど子育ての考え方をゆがめてしまっているのだろうか。子を持った親なら、その子が生まれつき持っている何かを感じないことはない。別にそんな風に育てたわけではないのに、よく笑う、ぐずつきやすい、おとなしい、かしこい、活発に動き回る、何を考えているのかよく分からない、その子自身が自ずと持っている性質やふるまい方 、好き嫌いがあること、それを親の思い通りに操作できないことを、いやというほど思い知らされているはずである。少し大きくなれば、教えてもいないのに自分から進んでいろいろな物に関心を示し始める。いいことであれ、悪いことであれ、そこには子どもの持って生まれたものが現れる。特に2人目のお子さんが生まれれば、1人目の子どもとそんなに大きく育て方を変ているわけではないのに、2人に間に歴然とした違いがあることに気づき、生まれつきを感じないわけにはいかない。
顔立ちが1人ひとり異なる遺伝の影響を受けて、その人らしさの元になっているのと同じように、ヒトの脳のつくりも1人ひとり異なる遺伝の影響を受けている。そしてそこから生み出される心の動き方や能力の発揮の仕方も、その人特有の特徴をもっている。これはヒトのみならずいかなる動物も、遺伝子が作り出しているのだということを考えれば、当たり前の事実である。
 にもかかわらず「遺伝」というと、「環境でどうにもならない、生まれつき決められたもの」という根深い先入観があるために、遺伝の影響力について頭ごなしに否定しがちである。もしくは「遺伝だからしかたない」と諦めるための言い分けに使いがちである。
しかし遺伝子が生み出す生命現象は、そんなガチガチの硬い物ではない。遺伝子は自らを生きながらえさせようと、環境に適応するような仕組みを作り、環境の変化に対して柔軟に反応する。子育ての仕方も子どもから見れば環境の1つであり、それに応じて遺伝子を表現している。それを見て、子どもは環境次第、子育ての仕方次第と錯覚するのは、無理からぬことであるが、そもそも親の子育て環境にどう反応するかが、子どもの遺伝子のなせる業である。
 かくして子どもは、そしてどの年齢のヒトも、それぞれが自らの内に持っていつも持ち運んでいる遺伝の影響を受けながら、時々刻々変化する環境に適応しようと脳を働かせ、体を動かして、自らの人生を作り上げている。その意味で、ヒトの行動はどの瞬間も遺伝と環境の両方から影響を受けて、1人ひとり独特な経験を紡いでおり、子育てマニュアルのように「こうすればこう育つ」「こうなったのはこんな育て方のせい」などといった単純な因果律が成り立っているわけではない。遺伝というものは運命を決める悲観的なものではなく、ダイナミックで魅力的なものだということに気づいてもらいたい。
-安藤寿康「教育は遺伝に勝てるか?」より抜粋引用した-

2025年12月02日
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