184.セカンドオピニオンについて、
セカンドオピニオンという言葉を知らない患者さんはいないだろう。ところが、言葉を聞き知ってはいても、それがどういう医療形態のことを指しで、値段がいくらになるのかを知っている人は少ないだろう。つまりセカンドオピニオンという医療は誤解されていると思う。最近診療していて、「**先生のセカンドオピニオン聞きたくて、紹介状を書いてもらえますか?」と聞かれることがある。「ああ、わかりました」といって、少し時間をもらって、これまでの病歴から治療歴までを細かく紹介状に書き込んで渡している。セカンドオピニオンとは、一番目の医師の所見に対して二番目の医師が意見を述べることだ。原則、診断や治療はしない。あくまでも一番目の診断や治療方針に対して、二番目の医師が自分の考えを伝えるだけのものである。セカンドオピニオンは自由診療であり、保険は適応されない。保険診療が想定している一般的な診療ではなく、その医師の技術と経験を求めて患者が意見を聞きに来るのだから、保険は効かないのだ。大学病院に在籍していた頃、病院の定めたセカンドオピニオンの料金は、1回3万円だった。当時私は何度かセカンドオピニオンに応じたが、この3万円は大学病院の収入であった。ん、ちょっとおかしくないですか?これはぼくの収入でしょう。
<料金をどうするか?>
クリニックを作ったときに、私は大学時代に習って、セカンドオピニオンの料金を30~60分で3万円と決めた。しかしそれほどセカンドオピニオンを求めてやってくる患者もいないだろうと予想していたが、実際はそうではなかった。東京から江戸川を越えて患者家族がお見えになるのは言うに及ばず、最も遠い所としては九州から患者がお見えになった。大学でやっていた診療の続きという面もあったが、私が開業して2年目に出した本の影響もあったと思う。また、クリニックのホームページに、大学病院時代の小児がんの治療経験を詳しく書いたことも影響しているだろう。さて、セカンドオピニオンであるが、かなり骨の折れる仕事である。患者家族の話をよく聞き、相手病院の資料を読み込み、自分の意見を家族に伝える。それで終わりではない。向こうの病院の先生に長文の手紙を書いて自分の意見を縷々述べる。いま、そういう返信の文章を読み返してみると、かなり専門的なことが書かれていて我ながら驚く。1番目の意見と2番目の意見のどちらが正しいかは神様しか分からないと思うが、患者家族の納得が得られればそれなりの役には立てたと思っている。
<いきなり封書はちょっとこまります>
ただ、ちょっと言っておきたいのは、この何年かの間にセカンドオピニオンを求めていきなり封書を送りつけてくる家族がいるのだが、それはちょっとどうかと思う。せめて電話をしてからとか、「セカンドオピニオンを受けてくれるか」と手紙で問い合わせをしてからならば分かる。ところがある日何の前触れもなく、レターパックに膨大な資料を詰めてクリニックに送ってくる人がいる。当然内容はハードで難しい病気だったりする。いや、それはどうなのかしら。自分のこどもが生きるか死ぬかの状態ならば、電話の一本、あるいは手紙の一通も書いて、まずセカンドオピニオンを受けてくれるかどうか聞くものではないかと思う。最近は華が去ったのか、セカンドオピニオンの数は年々減っている。いまはもう、完全に第一線から退いているので、お願いされてもちょっと無理なので、これで良かったと思っている。
<大学病院から逆流?>
ただ、やはり本の影響は大きいのか、「発達障害に生まれて」を書いたあたりから、発達障害に関する問い合わせが増えている。私は児童精神科医ではないので、専門的な話はできないのだが、最低限の助言をするだけでも1時間は掛かる。
東京都にはいくらでも専門の病院や開業小児科がありそうなものだが、重い自閉症の子どもを抱えて、どっこへ行って何をすればいいのか分からないという医療難民のような人たちがいることに意外な気がする。 情報が溢れすぎると、却って自分のほしい情報がその他の雑多な情報に隠れて見えなくなってしまうのだろうか。かかりつけの先生はどうしているのだろうか。
そういえば、2年位まえに、大学病院から紹介状が届いた。これこれの病気について「先生の意見を聞かせてあげてください」とお願いがきた。これも考えてみれば、セカンドオピニオンの紹介であろう。それも大学病院から開業医へ・・・である。セカンドオピニオンを巡る患者家族と開業医の関係はこれからも変化を遂げていくのではないか。全くの初診で、お互いの顔も知らない関係で、いきなり意見を求めるのは少し考え直す余地があると思う。最低限のコミュニケーションは取りましょうとお願いしたい。
-松永正訓著「開業医の正体」より抜粋引用した-
2024年05月01日