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2024-04-02

183.開業医の正体について、

       

開業一年目はどの医者も未熟である。というのは、医師は初期研修では広く浅く学ぶが、その後は自分で専門を決めていく。成人の内科といっても、内科全部を学ぶのは後期研修医の頃だけで、やがてアレルギー、呼吸器疾患、腎臓病などの専門に特化していく。次第に狭く深くなるわけだ。外科も同じである。若いうちは何でも学ぶが、そのうちに、消化器、呼吸器、心臓血管、乳腺などに特化していく。消化器に関しては、さらに食道から大腸までの消化管と、肝臓・胆嚢・膵臓のいわゆる肝胆膵の外科に分かれていく。大学の教授や、国立がんセンターの部長などになると、食道の手術しかやらないとか、膵臓の手術しかやらないようになる。こうなるともう、完全に専門家の中の専門家なので、全国からセカンドオピニオンを求めて患者がやってきたりする。
では、自分の専門を極めたベテランの医師が開業医になると、初めからすべて上手くいくだろうか。そうではない。実は「開業医」という学問は存在しない。大学病院や一般病院で働いているときに、開業医とはどういう仕事をしていて、地域でどういう役割を果たすべきか、勤務医は考えたこともないし、学ぶ機会も全くない。
つまり開業医は、開業医になって初めて自分の仕事を学んでいくということになる。もちろんそのベースになるのは、それまでの経験と知恵である。だが、開業一年目はどの医師もまだまだ未熟な部分があるだろう。
もう少し具体的に説明してみよう。たとえば、大学病院や一般病院で勤務医をやっていた大人の内科の先生が開業すると仮定する。そのときに、「内科」「小児科」を標榜することが結構ある。日本の法律では、医師は何科を標榜してもいいことになっている(麻酔科だけは別)。だが、この先生は、勤務医時代に子どもを診た経験はあるだろうか。答えは「全くなし」である。だから開業直後は試行錯誤で子どもを診ていくことになる。同じように勤務医の耳鼻科の先生が、子どもを診た経験はあるだろうか。答えは「あるけれど、それほど多くはない」である。確かに、地方の公立病院の医師であれば、子どもの中耳炎を結構診るだろう。しかし、大学病院や都会の中核病院である公立病院の医師が診ることはあまりない。特に大学病院ではほぼない。開業している耳鼻科のクリニックには子どもが溢れているが、子どもの診療に関して耳鼻科医は、開業してから腕を上げたという部分があるだろう。内科の先生が内科で開業しても、得意なのは自分の専門領域で、他の分野は日々の診療を走らせながら学ぶということになる。
だから新規開業のクリニックがいいクリニックかというと、それはなかなかイエスとは言い難い。研修医を追えた医師が10年、15年かけて一人前になるように、開業医が開業医として一人前になるには時間が掛かる。
私は自分のことを一人前と呼んでいいかどうか分からないが、今でも患者家族に質問されて答えられないこともある。こういうときには宿題にして文献を調べたり、仲間の開業医に知恵を貸してもらったりする。つまり私もまだ学びの途中である。
開業スタートからいい医療をするためには、やはり準備が必要だろう。自分は何を苦手にしているのか、何を分かってないかを自分に問いかけて、勉強しておくことが重要になる。
それから、ここ20年くらい、いろいろな疾患についてガイドライが発表されている。ガイラインとは標準治療を述べたものである。患者によっては、「標準」ではなく、「特上」の治療をしてほしいと要求する人がいるが、これは言葉の誤解である。標準治療とは「並」という意味ではない。科学的根拠(よくいうエビデンス)に基いた治療のことである。従って標準治療に則って、基準にそった治療をしていくことが最上の治療法といえる。これは間違わないでほしい。
では、エビデンスとは何かというと少し説明が必要になる。新型コロナの感染流行で、今や政治家までもエビデンスという言葉を乱発している。だが、そのエビデンスという言葉の使い方は医学的には間違いである。政治家のいうエビデンスとはデータのことである。「エビデンスがない」というのは「データがない」の間違えである。
医学界におけるエビデンスにはランクの低いものから、ランクの高いものまでの幅がある。最もランクの低いモノは、「権威ある医学者の個人的な意見」である。一方、最もランクの高いのは、新型コロナに感染した患者をA群とB群にランダムに分けて、(ここがポイント)、ワクチンを注射するか、生理食塩水を注射するかして、その結果、入院になった数や死亡者数を比べる研究のことである。それは紛れもなく人体実験ではないかと思う人がいるだろう。その通り人体実験である。エビデンスを得るためには人体実験が必要になる。1000人の健康な大人に新型コロナワクチンを接種して、そのうちX%が発症した・・・というのはデータであり、エビデンスとは言わない。
こうした臨床研究(治験という)は、研究に参加してくれるボランティアの患者がいて初めて成り立つ。ある意味で、患者に少なからず犠牲を強いる。そうまでして手に入れたエビデンスなのだから、医師はその結果を重く尊重するべきである。

-松永正訓「開業医の正体」より抜粋引用した-

2024年04月02日
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