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2023-03-01

170.才能を育てることはできるか?について

 子どもの時にできるだけ沢山、習い事をさせた方が良いかという疑問について、答えは、No.です。出鼻をくじくような話で恐縮ですが、沢山習い事をさせれば、それだけ素質を発見するテャンスが増えるというものではないということです。なぜならば、習い事は、疑似的な環境に過ぎないということなのです。
バイオリンやピアノなどの楽器、英語や中国語といった外国語に、体操教室・サッカースクール、プログラミング、科学教室に図工教室・・・。世間には子供たちを対象とした習い事が無数にあり「**を伸ばすには、小さい頃から!」「これからの時代は、**が必要!」という宣伝文句で親を煽ります。「これからの時代はやっぱり英語は必要だろうし、ITスキルがあれば年収の高い仕事に就けるというし、だけど芸術的な素養も人生を豊にするにのに必要な気がするし、それに体が丈夫でないとダメだから、何かのスポーツもやらせないと。ああ、お金がいくらあっても足りない」そんな風に悩んでいる親は多いのではないか。子どものうちにいろいろな経験を積ませれば、才能を発見するチャンスも増えるのではないか。それが沢山できるお金持ちの子どもほど、人生は有利なのではないか。習い事について、親が大いにに悩むのはこのあたりでしょうか。
それでは、沢山習い事をさせればさせるほど、何らかの才能が発現するチャンスは増えるものなのでしょうか。ここで、才能のある人の3条件を上げてみると、「特定の領域に対してフィットしていること」「学習曲線が急上昇のカーブを描くこと」「学習ができる十分な環境が与えられていること」があります。ある習いごとをして、確かに子どもの能力が「特定の領域に対してフィットしている」という非常に希な幸運はあるかもしれないが、そのために幾つもの習い事をさせて適正を見るというのは、効率の良い方法とはいえない。何故ならば、いわゆる才能を発揮している人が、子どもの頃に沢山の習いごとをする中で、その才能の素質に出会ったというエビデンスはないのです。むしろ遺伝的な能力は、どんな状況でも自らそれを育てる環境を選び取っていくのである。動物行動学者でノーベル賞を受賞したニコラス・ティンバーゲン曰く、「動物行動学を志してしまう人は、たとえ大都会に生まれ育っても、子どもの頃からコンクリートの谷間に生えている雑草にやってくる昆虫に自ずと関心を持ってしまうのだ」というものだそうです。
いやいや、ノーベル賞を取るような天才的な才能発見のことを言っているのではない。将棋の盤面を一目見て名人が唸るような一手をバンと打つとか、一度聞いただけの曲を正確に再現するとか、そういった天才のエピソードではなく、凡人のちょっとした才能をどう見つけるかの話をしているのだ。そのためには、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、色々なことを習わせないと見つからないのではないか。そう思うかもしれないですね。
もちろん習い事は、学校教育と違って、正統派のもの、世界に存在する本物の文化環境に至る道の入り口に立たせてくれることもしばしばある。その意味では、大事な教育機会である。学校の音楽の授業ではプロの音楽家は育たないが、町のピアノ教室が世界的なピアニストになる最初のきっかけを作ってくれたり、近所の体操教室・サッカー教室の指導者が実は元トップクラスの選手で、その世界へのあこがれを子どもに抱かせてくれたり、ということはままあることです。習い事の中身が芸能・芸術やスポーツ、語学など、我々の文化の中に本物としてあり、指導者もプロ、アマ問わずその領域に対する造詣が深い人であれば、正統派の教育環境となりうる。ただ、他方で、受験テクニック強化のために作られたようないろいろなメソッド系の塾や教室での活動は、それ自体が平準化された教育プログラムに適応するためのものであり、その文化的な由来が正統派的でないものもある。どうせやるなら、その先に文化的に豊かな本物に触れることのできる習い事を選んであげたいです。
しかし覚えておきたいことは、基本的に人間、いや生物が遺伝的に持っている能力というものは、いきなりピアノだとか水泳だとか、そろばんだとか、そんな大きな単位で発現するものではないということです。初めは鍵盤から色々な音が鳴ることが面白いとか、プールの水が自分の体を支えてフワッと浮かせてくれる感じが気持ちよいとか、ただボールを蹴ると気持ちが良いとか、そんな些細なポジティブ経験から始まり、時間をかけて徐々にピアノの能力、水泳の能力、あるいはサッカーの能力へと育っていくのである。そしてそのような経験をする機会は、高い月謝を払わないと受けられない習い事の教室でなくとも、幼稚園にあるピアノや家族で行った海水浴、広場でのボール遊びでも得られる。そして子ども時代の膨大な時間は、著しく貧困だったり虐待を受けたり、ヤングケアラーでいつも病んだ親の介護をしなければならないような家庭でなければ(実はそこが問題であり、行政がしっかり対策を取る必要があるのですが)、それらをある程度の豊かさで経験できる機会を与えてくれる。更にいえば、人はある程度の貧しさや逆境の中でないと、本当に必要なことに気づかないということがある。仮に今逆境にいる人も、すぐに手に入らなくても、いつか手に入れようという夢だけは大切に持っておきましょう。それは人の脳が持つ予測器としての働きの表れかもしれないからである。
実は現代の社会でも、個人の遺伝的素質は身の回りの些細で具体的な事柄に対して発現している。それに気づき、それにこだわって自らの力で育て上げる頭が必要になるのです。柔らかいクッションと硬い壁面の違い、室内の色彩や意匠、人の話し声に、モノが立てる音、家の外では公園や商店があり、自転車や自動車が行き来している。我々の周囲には実に多様な環境が存在しており、それらは意識せずとも各人が持つ素質と相互作用を行い、無意識のうちに統計的な確率計算をして、自分なりの世界に関する内的モデルを作っている。
しかし、家が富裕であれば、もっと色々な体験を子どもにさせられるから、才能が発現するチャンスは増えるのではないという疑問がわき上がるかもしれない。これに対して行動遺伝学がいえることは、SES(社会経済状況)の能力に対する影響は、一般的に思われていることとは違う。確かに家庭のSESは、オールマイティに能力や健康に一定の効果を与える。学力や知能に共有環境の影響がある大きな要因の一つは、家庭の豊かさであることは間違いない。しかしそれは遺伝の50%に対して30%程度、芸術やスポーツ、数学等の才能については、共有環境の影響は全くないか、あってもごく僅かである。沢山習い事をさせるほど学業成績が良くなったり、何かの才能が発現する確率が高まるという研究結果は出ていない。大金持ちの家と中流家庭とでは環境の多様性に大した差は無く、どういう能力を発現するかは遺伝的素質によるところが大きいのです。ただし極端な貧困や虐待のある家庭の場合に事情が異なる。だからこそ貧困と格差対策の政策が大切なのである。

-安藤寿康「生まれが9割の世界をどう生きるか」より抜粋引用-

2023年03月01日
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