toggle
2023-02-05

169.うつ病は時代とともに増えているのか?について、

近年、先進国ではうつ病の通院患者が大幅に増加している。厚労省の調査によると、日本では1999~2017年までの間にうつ病の通院患者は24万人から97万人へと、約4倍に増加した。米国でも1987~2007年の間に、うつ病の通院患者は約4倍に増加している。うつ病通院患者の増加は、それ以外の国でも確認されている。近年のうつ病患者の増加はグローバルな現象といえる。しかし、うつ病という病気はもともと受診率の低い病気である。従って、実態としてうつ病が増えたのか、あるいは単に受診率が増えることにより通院患者が増えたのか、両者を区別する必要がある。その理由は、もし、実態として、うつ病が増えているのであれば、早急に世の中のメンタルヘルスが悪化した原因を特定して、その対策を行う必要がある。そうしないと世の中のうつ病患者が更に増えることになるからだ。また、うつ病そのものは増えておらず、受診率が増えたことにより通院患者が増えたとすると、急いで対策する必要性は無い。受診率が向上することは基本的によいことであるからだ。
両者を鑑別するには、一般社会の抑うつスコアの分布の変化を調べる必要がある。一般社会の抑うつスコアの分布そのものが変化していると、社会に抑うつ的な人が増えて、実態としてうつ病患者数が増加したと結論づけられる。逆に抑うつスコアが変化してなければ、単純に受診率の増加によるうつ病の通院患者数の増加という結論になる。
ここで、疾病予防の成功例を一つ上げてみる。一般の人にはあまり知られていないが、実は、日本人の血圧はここ50年間で低下し続けている。そもそも血圧は、年齢と共に増加する。従ってその時代による血圧の変化を年齢別に比較する必要がある。1961~2010年までの日本人男性の平均収縮期血圧を見ると、例えば60代では1961年が160mmHgであったが、2010年では141mmHgまで低下している。30代でも、130mmHgの血圧が122mmHgまで低下した。高血圧症は脳卒中の危険因子であるが、日本では高血圧が減少したことにより、脳卒中死亡率も約半分まで減少した。なぜ日本人の血圧はこれほどまでに低下したのだろうか。その主な理由として、減塩食の広がりと降圧薬の普及が上げられる。国民健康栄養調査によると、1960年代の平均的な日本人は一日一人当たり15gの塩分を摂取していたが、現在では一日一人当たり10gの塩分しか摂取していない。日本人の塩分摂取量は、この50年間に2/3まで低下したということである。余談だが、もし50年前の日本人が今の日本にタイムトリップしたら、きっと料理の塩気のなさにうんざりするだろう。なお、英国など他の国でも、強力に減塩指導が進められ、血圧が低下して、脳卒中や心臓病が減少していることが実証されている。
さて本題に戻り、抑うつスコアの分布の長期的変化を紹介する。
国レベルの抑うつスコア分布の長期的変化を調べるのに、最も適している調査は米国政府によるNHISという調査があげられる。調査開始は1997年で、20年以上にわたり同じ抑うつ尺度K6を使用して継続している。この調査が始まったのは、クリントン政権下であり、このときは景気拡大が続いた。しかし21世紀に入ると、9.11の同時多発テロ(2001)、ハリケーンカトリーナによる大災害(2005)、リーマンショックによる不況(2008)と世の中を揺るがすような災危が続いた。2009年にはオバマ大統領が就任して、経済の回復は進んだが、一方で富の偏在に抗議する運動(ウオール街占拠)も起きた。その後貿易不均衡や移民政策への不満を背景に、トランプ政権が誕生(2017)した。NHISの調査が行われた21年間に米国社会は様々な社会変動に見舞われたが、また同時にインターネットや携帯電話が急速に普及するなど、人々のライフスタイルも大きく変化した。では、こうした社会や生活習慣が激変する中で、抑うつスコアの分布はどう変化したのだろうか。このデータを見ると、21年間の長期トレンドでは、実は「安定している」のである。ほぼ一定しており(K6スコア:10段階の3程度)、社会の変化はほとんど抑うつスコアに影響を与えてない。K6が長期的に安定していることは、ここ21年間で分布がどう変化したかを確認すると理解しやすい。1997年と2017年のグラフのK6スコア の分布を比較すると、いずれのグラフも指数関数的な右肩下がりであり、ほぼ重なっている。21年間の時間差があるにもかかわらず、両者は区別しずらいほど重なっている。この重なり具合を計るために、オーバーラップ係数(2つ分布の面積がどれだけ重なっているかを示す指標)を調べてみると、1997年と2017年の場合、オーバーラップ係数は0.97であった。つまりそれぞれの分布の面積は97%が重なっており、分布の形はほぼ同じということである。また、21年間の全てのオーバーラップ係数の平均値は0.96であり、どの年も変化はほぼ同じで安定しているといえる。結論として、米国の一般人口において、抑うつスコアの分布はここ21年間長期的に安定しているといってよいであろう。他の国での抑うつスコアの長期的変化も調べてみた。例えば英国で行われた行政調査でも、やはり一般社会の抑うつスコアは長期的に安定していた。また、日本における厚労省による調査結果も同じであった。つまりこれらのことは、この21年間に、実態としてうつ病患者は増えているわけではないということである。これらの事実からいえることは、近年先進国ではうつ病のために通院者数が数倍に増加したことについては、世の中のうつ病患者が実態として増えたわけではなく、うつ病の受診率が向上したからであるといえる。うつ病という病気が世の中に認知されて、結果として、医療機関を受診する患者が増えたのである。欧米では1990年代に、日本では2000年代にうつ病の啓発活動が盛んに行われた。その結果、「気分の酷く落ち込んだ状態は病気であり、病院に早めに受診した方が良い」という考え方が社会に浸透した。結果として病院を受診するうつ病患者が急増したということである。

-冨髙辰一郎著「なぜ抑うつは指数分布に従うのか」より、抜粋引用した-

2023年02月05日
関連記事