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2023-07-01

174.家族はコスパが悪すぎる?結婚しない若者たちについて、

今回は日本の少子化問題についての話をします。
結婚支援という少子化対策:日本の少子化について、基本的な事実として、「日本の少子化の要因は、結婚した夫婦が子供を多く産まないことではなく、結婚しない人の割合が増えたことにある」と、筆者は強調してきた。ここ15年ほど、政府や自治体はお見合いパーティーや「婚活」に躍起となり、大騒ぎしたことは記憶に新しい。これら結婚支援が少子化対策の名の下に行われてきたのは、この認識が存在するからでもあった。思えばここ数十年、独身貴族、パラサイト・シングル、負け犬(の遠吠え)、お一人様といった形で、なかなか結婚に踏み切らない独身者という「問題」が論じられてきた。アメリカでも数年前に、社会学者が結婚しない男女の生態を活写した「シングルトン」という著作が大ヒットし、邦訳も存在する。これらの著作に登場する独身者は、自らが結婚しないこと、子供を持たぬ事について、必ずしも否定的にはとらえていない。ところが日本の場合、独身者は、彼ら/彼女らは自らの意思で「結婚しない」のではなく、仕事と子育ての両立困難や経済的困難などの理由で、「結婚したくてもできない」(=かわいそうな)人たちと描かれている事が多い。それ故、「結婚支援」が少子化対策として大真面目に取り沙汰されることになる。
ソロ社会は孤立社会ではない:ところが、2人の社会学者が書いた新書が、こうした言説状況に風穴を開けた。一つは荒川和久氏の「超ソロ社会-独身大国日本の衝撃」である。曰く、「日本の20年後は、独身者が人口の50%を締め、一人暮らしが4割となる社会」であることを正確に見抜きつつ、官製社会調査のトリックに対して批判している。例えば、「日本人は9割が結婚したいと思っている」というタイプの主張を裏付ける官製統計に対して、「まだ結婚するつもりはない(男性47.7%、女性の40.6%)」を、「いずれ結婚するつもり」として、「結婚したい」側に組み入れられていることを鋭く暴きだしている。荒川氏によれば、自らの意思で結婚しない男女、すなわち「ソロ男・ソロ女」は約半数存在する。彼ら/彼女らは、「結婚に関して、女性は相手の年収や経済的安定は絶対に譲れないし、男性もまた、結婚による自分への経済的圧迫を極度に嫌う」という実利主義者である。それゆえに、「女性が輝く社会」では、(バリキャリで
働く)女性は結婚する必要を感じなくなり、女性の未婚率が加速するとまで述べて、既存の少子化対策の無効を宣言する。また、「結婚を勧めてくる既婚者たちは、結婚教の宣教師であり、勧誘者」と述べて、その善意の結婚強要を、「ソロハラ」と名付けている。これはきわめて重要な問題提起といえる。さらに本書の白眉は、ソロ男やソロ女が作り出すソロ社会が孤立社会ではないという、力強いメッセージを打ち出していることである。ソロで生きる力、すなわち、ひとりでいられる能力は、誰かとのつながりがあるから可能になる。ソロで生きる力は自分を愛し、自分の中の多様性を育む力でもあるから、他者とのつながりも可能になる。このような「超ソロ社会」はあるべき、一つの社会構造といえる。単にソロ男、ソロ女だけの問題ではなく、離婚や死別の経験者、子どもが自立した以降の夫婦(カップル)など、誰にでもあてはまる、重要な問題提起である。
家族はコスパが悪い:もう一冊は、家族社会学を専攻する永田夏来氏が、20年に及ぶ研究成果を世に問うた「生涯未婚時代」である。彼女の問題意識は「画一的な家族のあり方を批判し、かつて家族の多様性を主張していた家族社会学が、”結婚して家族を作るべきだ””家族とは本来良い物だ”といった話に引きずられて、学問におけるニュートラルな視点を失っている」という、学界に対する現状告発も含んでいる。荒川氏同様、永田氏も「結婚を人生設計に組み込まない若者の登場」を射程に収めているが、結婚を目標やゴールと考える「ドラクエ人生」、結婚するかどうかは場合によると考える「ポケモン人生」を分けているのが特徴的である。
ドラクエ人生とは、人生にはしかるべきタイミングとステップで進行する標準的なルールとゴールがあり、一度つまづくとそこで停止してしまう、「昭和の人生すごろく」的一本道の人生観である。
これに対しポケモン人生は、一通りのストーリーを終えた後がむしろ本番で、対戦しながらレベルを上げたり、コンプリートを目指したりすることになるという。ゲームに詳しくない筆者がいうのも何だが、これは標準的ルートも終局もない、ゲームの過程そのものが快楽となるゲームなのであろう。
永田氏は、地方暮らしの若者に見られる「ほどほどパラダイス」がポケモン人生に該当するというが、ひと頃流行った「マイルド・ヤンキー」もこれに通じる物があるはずだ。同書の後半で永田氏は、家族は本質的にコストパフォーマンスが悪いため、コスパや合理的計算で考えると、結婚はかえって遠のいてしまうと指摘する。コスパで考えるとはつまり、結婚や子育てを「人生すごろく」の一コマとして捉えることの証左なのだろう。
結婚や子育てという純粋な歓びを、「機会費用」という名で利得を計算し(専業主婦になるとX億円の損、とか)、結婚や出産を「リスク」とみなすような結婚支援や少子化対策が大手を振ってきたのである。今日の少子化はその必然的な帰結と考えるべきだろう。
また、「結婚すればなんとかなる」という考え方は問題の先送りであり、パーソナリティーを安定化させ、生活を支えるという機能を有していた家族を失った場合、途端に行き場がなくなってしまう。これも、現代家族が抱える本質的困難の一つである。
それらの難点を承知した上で永田氏は、「結婚する人生もしない人生も同じくらい尊い」と述べて、「自分と違う人生を選択した人々に寄り添いながら、それぞれの人生を尊重する」という思考力を持つことを、1人ずつでも増やしていくことが、生涯未婚時代を明るく照らすと結んでいる。
選択肢が増えると王道が再評価される:荒川氏が描く、超ソロ社会における他者とのつながりと、永田氏が描く、多様な生き方の尊重と包摂という社会は、似通った面がある。それは若者が「結婚できない」という点だけをやたら強調して、悲惨な未来年表を描きがちな少子化言説の風景からは忘れ去られた視点である。他方、人々の考え方や生き方が多様化し、「選択肢が増えると王道が再評価される」という永田氏の分析も重要である。性解放の後の家族回帰、不倫ブームのあとの純愛ブーム、はたまた「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させてもらいます」と述べたジャイアント馬場の「王道」(古いか・・・・)。
人々を拘束してきた規範や秩序が揺らぎ、新しい選択肢が目の前に提示されるとき、人は却って、過去からの伝統を呼び戻し、それにすがってしまう。生と性の多様性を提示する言説もまた、この心理・社会的障壁と戦い続けざるを得ない。
赤川学著「家族はコスパが悪すぎる?結婚しない若者たち、結婚教の信者たち」ー日本の死角より抜粋引用-

2023年07月01日
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