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2021-11-03

154.キレないために自分の事情を聴くこと-ゲシュタルト療法とは、

  もともと母親や元カレからはキレやすい性格だといわれていて、「私はそういう人なんだ」とずっと悩んでいた。特に第一子を出産した後の1年くらいは荒れていた。例えば、夫が帰宅して「部屋が散らかっているよ」とか、そういう一言だけで「うわあああ」みたいな感じです。一番味方になってほしい人にそんなことを言われたという絶望感もある。私の場合は、執着している相手にキレていた。夫から、子供にも同じようにキレるのかといわれて、そのときに本当にどうにかしないといけないと思った。精神科にも行ったが、女性が男性にキレるのはよくあるみたいな感じで終わってしまい、問題視されなかった。旦那が殴る場合にはDVなどのプログラムが沢山あるのに、女がキレるという話はザルにも引っかからない。困り果てて図書館で何十冊もの心理療法の本を借りて読んだところ、ゲシュタルト療法の本に唯一、怒りがコントロール出来ない人たちの症例が載っていて「私これだ」と思った。そこでグループワークに参加したところ、一発でガラリと変わった感覚があった。精神科でも「その気持ちを旦那さんに話してみよう」みたいなことでおわってしまう。行動をこう変えてみなさいというのはあちこちで溢れているが、心に響かない。ゲシュタルト療法はそこのアプローチがまったく違っていて、外側からの変革ではなく、まず「私が私の事情を聴く」という姿勢を教えてくれる。私たちは生まれてきたときから、オムツをはかされる。オムツは親や社会の事情なんですよ。赤ちゃんはいつでもウンチするという事情を、こっちの社会の事情で止めているわけです。私たちの生きる社会には秩序を守るためのルールが沢山ある。そのルールは「心」ではなくて「行動」の話なのだ。とにかく周りを見て空気を読んで行動しましょうということばかり教わる。そんな中で自分の事情を自分に聴くという感覚自体を教わることが全くない。自分に事情を聴かずに人のことばかり聴かなきゃいけない。それで自分の感情を押し込んでいるから爆発してしまう。けれどそこが一番、生きるときに必要な感覚だということを発見する。このゲシュタルト療法とは、感情・感覚にフォーカスしていくというセラピーである。自分で自分の事情を聴くということで言えば、悩んだり窮屈さや不自由さを感じる人はほとんど自分との対話が出来てない。自分との対話ができるようになると楽になると思う。あと「排泄」の問題だが、感情を表出できないのは心理的には便秘のようなもの。結果的には自分を傷つけることになる。昔は「男は泣くもんじゃない」といわれて育ったわけだが、そうすると、泣きたい時に自分の中で「男は泣くもんじゃない」というつぶやきが聞こえてきたりする。結果的にぐっと自分の中に感情を飲み込んでしまう。強く飲み込んでしまった感情は、ずっと体の中にあり続ける。その感情を飲み込んだときと同じ状況が出てくるとキレてしまう。そこで、まず初めに自分の中にそういう感情があることを認めることが大切である。社会的な役割のお面をかぶっているときに変な感情が出てきたら、困ることになる。自分で自分を認めないという構造が自分の中にできあがった時に、中にいる感情が暴れ始める。ケンカでもそうだが、否定されるとムキになる。自分の感情も、自分が否定されると思うと存在を誇示したくなる。だから最初にどんな感情であれ、感情があるということを認める。それが出来ると外に出すか出さないでおくかという選択が出来る。感情を認めるということは安易に感情を外に出すということではない。少しそのまま自分の中にいてね、出てこないでね、あるのは分かっているし、あっていいよ、そんな風に自分との対話が出来るようになることがよい。しかも聴くことを訓練すれば自分一人で出来てしまうようになる。これが人生の全てにおいて生かせるので、気分が楽になる。
岡田法悦著、イラスト田房永子「キレたくないのにキレてしまうあなたへ」2021.10.11アエラより引用

2021年11月03日
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